淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、… 淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、東京都新宿区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 東京都新宿区立牛込仲之小学校の1年時に、軟式野球チームの「いちがやチーターズ」で投手としてプレー。6年時の2008年には、東京ヤクルトスワローズジュニアチームの一員としてNPB12球団ジュニアトーナメントへ参加した。新宿区立牛込第一中学校在学中には生徒会長を務め、「新宿シニア」で投手と外野手を兼務。3年時には、シニアリーグの全国大会で準々決勝まで進出した後に、メキシコで夏に開催された第15回AA世界野球選手権大会へ立田将太などと共に日本代表チームの一員としてに出場した。
坂本 一将(さかもと かずまさ、1990年11月16日 - … 坂本 一将(さかもと かずまさ、1990年11月16日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。現在は社会人野球・SUNホールディングスEAST硬式野球部の監督を務める。 小学校から武蔵府中シニアで野球を始めると、世界大会で優勝。新宿区立西戸山中学校時代にも、武蔵府中シニアで日本一を経験した。小中学校の1学年後輩に、長谷川潤がいる。 浦和学院高校に進学すると、2年の夏に第89回全国高等学校野球選手権大会の埼玉県代表として阪神甲子園球場に登場したが、試合には出場しなかった。3年夏には、1番打者として第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。全国大会の初戦で土屋健二、筒香嘉智、倉本寿彦擁する横浜高校と対戦すると、土屋から5打数3安打を記録したが、チームは敗れた。
遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )… 遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 新宿区立大久保小学校1年の時に野球を始め、新宿区立新宿中学校時代は川崎中央リトルシニアに所属。 駒場学園高等学校では東東京大会ベスト4が最高で甲子園出場経験はなし。3年次の2006年にはプロ志望届を提出したがプロからの指名はなかった。 進学した中央大学では1部通算64試合に出場し、199打数42安打、打率.211、1本塁打、23打点、13盗塁の成績を残した。大学の同期に澤村拓一がいる。 大学卒業後は東京ガスに入社し野球部に入部。2014年は都市対抗野球でベスト8。9月、仁川アジア大会の野球日本代表に選ばれ出場。
吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - … 吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代には横浜ベイスターズに所属。『暫定大魔神』という愛称が付けられた。現役引退後は、OA機器販売会社のオフィス24に勤務しながらシッティングバレーボールの普及活動に携わった後に、焼き鳥屋を経営。 日大豊山高校3年生の夏に、東東京大会の2回戦で、6回参考ながらノーヒットノーランを記録。日本大学への進学後は、1年春にリーグ戦で先発勝利したが1学年上に館山昌平、堤内健、1学年下に那須野巧がいて登板機会は限られ、東都大学野球のリーグ戦で19試合1勝3敗を記録した。高校からの1学年後輩に桑原義行、大学では1学年上に大野隆治、村田修一らがいた。
笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、… 笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)、プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス四軍内野守備走塁コーチ。 中学校時代、ボーイズリーグの新宿ヴァリアンツに所属。チームの主力選手として、1993年関東大会優勝、1994年第25回選手権大会全国優勝に貢献する。 東海大菅生高に進学。硬式野球部に所属し、1996年の第78回全国高等学校野球選手権大会と1997年の第69回選抜高等学校野球大会に出場した。また、1996年秋から野球部の主将も務めた。 1997年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスに入団。入団当時は内野手だったが、二軍でも出場機会に恵まれず、2001年途中に的場直樹をはじめ二軍の捕手陣に故障者が続出したこともあって捕手に転向、翌2002年には捕手登録となる。
大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 202… 大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 2025年7月18日)は、東京都新宿区出身(富山県氷見市生まれ)のプロ野球選手(遊撃手)・コーチ・監督。 愛称は「ペロ」(現役時代、打つ時、捕球の時、舌を出す癖があることから)。台湾における表記は大橋 穰(正体字)。 パ・リーグ初の遊撃手部門のダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞している。 中学時代に野球を始めると同時に遊撃手となり、以後ずっと遊撃でプレーする。日大三高では、1年次の1962年に控え内野手として夏の甲子園に出場するが、準々決勝で村上公康のいた西条高に敗れる。2年次の1963年には同期のエース若宮秀雄を擁し秋季東京大会に優勝し、3年次の1964年に行われる春の選抜出場を決める。
井手 峻(いで たかし、1944年2月13日 - )は、東京… 井手 峻(いで たかし、1944年2月13日 - )は、東京都新宿区出身(佐賀県東松浦郡北波多村 (現:唐津市北波多)生まれ)の元プロ野球選手(投手, 外野手)・コーチ・監督、解説者、元中日球団代表兼連盟担当(会社役員)。 新治伸治(1965年大洋入団)に次ぐ史上2人目の東大野球部出身プロ野球選手で、ドラフト制度発足後としては東大初の指名選手となった。公式戦出場試合数は、過去の東大出身プロ野球選手の中では最も多かった。 父は脚本家の井手俊郎。 父・俊郎の実家は質屋を営んでいた。その家は「明治時代以降に炭鉱町として発展した北波多村の繁栄を伝える重要な町家建築」として国の登録有形文化財に登録され、現在もギャラリーとして残っている。