増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいし… 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年11月16日 - 2025年6月15日)は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手(ムード歌謡・演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。 7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。
8代式守与太夫(はちだい しきもり よだゆう、1892年7月… 8代式守与太夫(はちだい しきもり よだゆう、1892年7月6日 - ? )は、大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1939年1月~1959年11月。本名、伊藤喜三郎。 東京生まれで本所の銭湯要湯の三男。伊勢ノ海部屋→錦島部屋所属。式守要人で初土俵。1902年1月番付行司欄に載る。のち式守喜三郎と改める。1913年春場所から1915年春場所まで兵役のためか番付から消える。1915年時点では青白房(十両格)であった。1918年夏場所2日目に本足袋(幕内格)に昇格。1919年春場所、式守要人に改名。1929年春場所、式守喜三郎と改める。1936年5月式守与太夫を襲名。 1939年1月三役格に昇進。
伊勢ノ濱 慶太郎(いせのはま けいたろう、1883年11月9… 伊勢ノ濱 慶太郎(いせのはま けいたろう、1883年11月9日 - 1928年5月17日)は、東京府本所区(現在の東京都墨田区)出身で友綱部屋(入門時は根岸部屋)に所属した大相撲力士。本名は中立 慶太郎(なかだち けいたろう)。最高位は大関。現役時代の体格は、身長168cm、体重105kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 父は明治中期(1880年代)に活躍した幕内力士の伊勢ノ濱荻右エ門で、祖父は行司9代木村庄太郎、従兄には年寄根岸治右エ門がいるという相撲一家の生まれ。日本橋の酒店に奉公していたが父親譲りの力自慢で、18歳の時に根岸に入門した。1902年1月場所初土俵。しかし根岸の部屋には土俵がなかったため名門友綱部屋に通い、太刀山、國見山らの胸を借りて成長した(のちに友綱部屋へ移籍)。
14代 式守 伊之助(じゅうよんだい しきもり いのすけ、1… 14代 式守 伊之助(じゅうよんだい しきもり いのすけ、1870年 - 1925年12月26日)は大相撲の立行司。 本名は平木兼次郎。出身は東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区本所)の横網町。 7代式守伊之助に入門し(のち伊勢ノ海部屋へ)、1884年5月場所に2代式守与之吉の名で初土俵を踏み、1899年3代式守勘太夫を襲名。ちなみに式守勘太夫の名跡は、現代では幕内格以上の行司が襲名するイメージが強いが、この3代式守勘太夫は式守勘太夫の名跡を襲名した当初、番付掲載上4段中3段目の比較的小さな文字で書かれていた。1902年には幕内格に、1906年には三役格に昇進する。三役時代には5代式守与太夫(のち19代庄之助)、3代式守錦太夫(のち松翁20代庄之助)とともに「名行司三太夫」として知られた。