スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三井 梨紗子(みつい りさこ、1993年9月23日 - )は… 三井 梨紗子(みつい りさこ、1993年9月23日 - )は、東京都新宿区出身のアーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)元選手。解説者。所属はミキハウス→スポーツビズ。 新宿区立落合第一小学校・日本大学第一中学校・高等学校卒・日本大学文理学部体育学科卒業。 3歳の時からシンクロを始め、小学校5年生の時にエリート教育メンバーとなる。 2012年ロンドンオリンピックの日本代表のチームとして出場、結果は5位となった。 2014年に韓国の仁川で行われたアジア大会に出場、デュエット・チーム・フリーコンビネーションはともに2位となった。 2015年のロシアのカザンで行われた世界水泳選手権に出場。
野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は… 野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は48。 日本大学第一高等学校から日本大学へ進み、学生コーチを務めた。同期に山崎晃大朗、1学年上に森脇亮介、戸根千明、1学年下に京田陽太がいた。2017年1月1日に日本野球機構審判部に入局。 (記録は2025年シーズン終了時点)
田端 信成(たばた のぶしげ、1989年4月9日 - )は、… 田端 信成(たばた のぶしげ、1989年4月9日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 千葉県出身で、同県のJリーグクラブである柏レイソルのジュニアチームに所属。同期は輪湖直樹、太田徹郎など。小学校6年生時からGKに取り組むようになる。 FC東京U-15のセレクションに合格し、中学生時からはFC東京の下部組織に所属。同期の廣永遼太郎と激しいポジション争いを演じた。他の同期は大竹洋平、丸山祐市、椋原健太、岡田翔平、宮阪政樹、井澤惇、加藤淳也など。 2005年に青山学院大学へ進学し、サッカー部に所属。同部では副将を務めた。 2012年より、JFL・佐川印刷SCに加入。
毛塚 陽介(けづか ようすけ、1988年7月13日 - )は… 毛塚 陽介(けづか ようすけ、1988年7月13日 - )は、日本の舞台俳優。演劇集団キャラメルボックス所属。東京都出身。身長176.5 cm。 2007年日本大学第一高等学校卒業、東京理科大学卒業後、演劇集団キャラメルボックス俳優教室第9期生となり、2012年演劇集団キャラメルボックスに入団。
本仮屋 ユイカ(もとかりや ユイカ、1987年9月8日 - … 本仮屋 ユイカ(もとかりや ユイカ、1987年9月8日 - )は、日本の女優。本名同じ。東京都出身。スターダストプロモーション所属。
福田 賢仁(ふくだ まさひと、マイキー(Mykey)、ゆめっ… 福田 賢仁(ふくだ まさひと、マイキー(Mykey)、ゆめっち、1985年12月13日 - )は日本のダンサー、振り付け師。2004年、日本大学第一高等学校卒。武蔵大学経済学部金融学科卒。ヒャダイン(前山田健一)、真野恵里菜、シクラメン、Milktubなどの、ライブの出演・振付や、PVなどの映像作品への参加もおこなっている。 大学時代、マイケル・ジャクソンに憧れて武蔵大学ジャズダンスサークルに入会。日々の授業やバイトの傍らダンスに打ち込み、大学4年時に芸能プロダクション「東宝芸能」に合格。エンターテイメントの現場でプロとして活動を始める。 大学卒業と同時に、舞浜エリアの有名テーマパークにてダンサーとして契約を結ぶ。
石川 直生(いしかわ なおき、1979年4月18日 - )は… 石川 直生(いしかわ なおき、1979年4月18日 - )は、日本の男性キックボクサー。東京都出身。青春塾所属。 1998年、日本大学第一高等学校卒業。 1999年1月24日、ニュージャパンキックボクシング連盟でプロデビュー。当時は所属していた岩本道場がNJKF所属であったが、全日本キックボクシング連盟に移籍(道場名も青春塾に変更)。 2000年1月21日、2戦目かつAJKFデビュー戦で森下知之と対戦し、膝蹴りによるKO勝ちを収めた。 2003年9月、全日本フェザー級挑戦者決定戦で山本元気と対戦しKO負け。 2004年10月17日、全日本フェザー級挑戦者決定戦で山本真弘と対戦し、判定負け。 2005年6月、IKUSA-GP1回戦でTURBOにKO勝ち。
阪本 浩之(さかもと ひろゆき 本名同じ、1978年5月11… 阪本 浩之(さかもと ひろゆき 本名同じ、1978年5月11日 - )は日本の俳優。東京都出身。 幼少の頃から子役として活躍。1992年NHKドラマ新銀河『コラ!なんばしよっと』の主役に抜擢。以後、パート2、パート3と引き続き鉄矢役を演じる。 1997年、日本大学第一高等学校を卒業し、1998年、日本大学芸術学部演劇学科在学中に、自身が主宰する「劇団コーヒー牛乳」を旗揚げしたが、2009年に劇団を卒業する。2014年6月より雀組ホエールズに所属。 このほかに劇団コーヒー牛乳の公演での出演多数。また2014年6月より雀組ホエールズに入団。
MAKOTO(マコト、1977年 - )は、日本のDJ / … MAKOTO(マコト、1977年 - )は、日本のDJ / 作曲家である。
菅原 大輔(すがわら だいすけ、1977年 - )は、日本の… 菅原 大輔(すがわら だいすけ、1977年 - )は、日本の建築家 。SUGAWARADAISUKE建築事務所とまちのリビングとカフェFUJIMI LOUNGEを主宰。世界3大デザイン賞iF Design Award(3作品同時)やアジアのグッドデザイン賞といわれるDFA award、日本建築学会作品選集新人賞や東京建築賞最優秀賞など、国内外30以上の受賞歴がある。 小さな公共空間をネットワーク下地域活性手法「micro public network」を提唱し、山梨県・港区・渋谷区で景観アアドバイザーも務めている。 また、コロナ時代に訪れる、全国総まちづくり時代を予見し、2020年5月17日にいち早く「stayhomeから、stayhometownへ」というキーワードを発表する。
Makoto(マコト、1977年 - )は、日本のドラムンベ… Makoto(マコト、1977年 - )は、日本のドラムンベースDJ / 作曲家である。 父親の影響でクラシック音楽を幼少期より聴いていたが、中学生の頃に坂本龍一の影響を受け、ジャズ・ソウルなどのブラック・ミュージック、クラブ・ミュージックに傾倒する。1995年、日本大学第一高等学校卒業、日本大学藝術学部に進学すると、当時シーン全盛といえる時期であったドラムンベースに出会い、LTJ Bukemのアルバム「Logical Progression」や、Goldie の「Inner City Life」に影響を受け、1998年頃より自身もドラムンベースの楽曲を製作するようになる。 イギリスのドラムンベース・アーティストである LTJ Bukem に、才能を見出され、彼のミックス CD に参加したり、数々のリミックスワークの製作を手がける。
福本 亜細亜(ふくもと あじあ、1974年(昭和49年)2月… 福本 亜細亜(ふくもと あじあ、1974年(昭和49年)2月14日[要出典] - )は、東京都出身の実業家。元葛飾区議会議員、元文化放送コメンテーター。父親が経営する特別養護老人ホームの近くで、葬祭場を経営している。 1974年(昭和49年)生まれ。日本大学第一高等学校を経て、東北福祉大学社会福祉学部[要出典]卒業。 名前は、祖父が日本をアジアで一番の国にとの思いで命名した。少年時代より野球に親しみ、高校、大学と硬式野球部。大学では、全日本大学野球選手権大会で準優勝し、門倉健とは同級生。ポジションは内野手。大学卒業後、プロゴルファーを目指して渡米したが、力及ばず断念しすぐに帰国する[要出典]。社会人野球デュプロに短期間[要出典]所属した後、1996年(平成8年)に[要出典]自民党衆議院議員平沢勝栄の秘書となり、2001年(平成13年)11月11日の葛飾区議会議員選挙に自民党公認で、2650票の36位の立候補者中最年少で当選。
高橋 郁雄(たかはし いくお、1973年1月11日 - )は… 高橋 郁雄(たかはし いくお、1973年1月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 日大一高を経て、創価大学では4年春にリーグ初のサイクル安打を記録、一光へと進むが、新人大量補強にはじきだされた形で退部。日本ハムファイターズの入団テストを受けるも不合格となったが、ヤクルトスワローズの入団テストを受けて合格となり、1997年のドラフト会議で5位指名を受け入団。 俊足強肩を売りとした外野手だったが、1軍出場のないまま、1999年に戦力外通告を通知され、現役から引退する。その後は事業を継いでいる。
内海 昇(うちうみ のぼる、1972年7月29日 - )はテ… 内海 昇(うちうみ のぼる、1972年7月29日 - )はテレビ番組・イベントのディレクター、プロデューサー。東京都江戸川区出身。日本大学法学部卒業。株式会社アース・シー・スカイ代表取締役社長。 幼少時代にジャッキー・チェンの主演映画、「プロジェクトA」を観て影響を受け映像の世界に興味を持ちはじめる。その後「ゴーストバスターズ」「バックトゥザフューチャー」などのSFX作品にも影響を受ける。 小学4年生からは映画専門雑誌「スクリーン」「ロードショー」を定期購読を開始。中学生時代にはレンタルビデオ店に通い、相当数の映画作品を鑑賞。 大学生時代には黒沢明、スティーヴン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリック、チャールズ・チャップリン、アルフレッド・ヒッチコック、フランシス・フォード・コッポラ等の監督作品に傾倒し、その後のアフリカへの卒業旅行全般での衝撃的な体験をきっかけに演出家として生きるを決意。
昔昔亭 桃之助(せきせきてい もものすけ、1970年12月1… 昔昔亭 桃之助(せきせきてい もものすけ、1970年12月13日 - )は、落語家である。落語芸術協会所属の真打。出囃子∶深川くずし。 1970年、東京都江東区出身の下町育ち。幼少より落語に親しむ。1989年、日本大学第一高等学校を卒業し、日本大学文理学部国文学科に進学する。学生時代は、落語研究会(日本大学文理学部落語研究会)に所属した。 1993年、大学を卒業。漫才師として活動するかたわら様々な職を経て、30才を過ぎた2002年に昔昔亭桃太郎に入門する。前座名は「喜太郎」。2007年、二ツ目昇進と同時に桃之助と改名。2017年に笑福亭和光と共に真打に昇進した。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家。選手として全日本選手権やアジア大会での優勝経験を持ち、日本大学柔道部監督および文理学部准教授を務める。 東京都文京区に生まれ幼少時に埼玉県浦和市(のちのさいたま市)へ転居し、同県川口市で成長。市立芝中学校へ入学した当初の入部第1希望は水泳部だったが、すでに水泳部が定員で空きが無かったため、第2希望の柔道部に回されたのが柔道を始めるきっかけとなった。しかし中学時代の金野は芽が出ず、周囲の部員がスムーズに昇級・昇段する中、金野は昇級審査に2回、昇段審査に3回落ちたほか、先輩部員からも柔道部特有のかわいがり(いわゆるシゴキ)を受けている。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家(講道館5段)
秦 光賢(はた みつまさ、1965年9月22日 - )は、日… 秦 光賢(はた みつまさ、1965年9月22日 - )は、日本の医学者、医師。専門は、心臓血管外科学、大動脈外科学。学位は、博士(医学)。 日本大学松戸歯学部循環器・心臓血管外科学講座 教授、日本大学松戸歯学部付属病院心臓血管外科科長。元日本大学病院副病院長。 東京都墨田区出身。日本大学第一高等学校を経て日本大学医学部卒業し、日本大学総長賞を受賞。医師免許を取得。 日本大学医学部附属板橋病院心臓外科科長、日本大学医学部付属練馬光が丘病院心臓血管外科科長、駿河台日本大学病院心臓血管外科科長、日本大学病院心臓血管外科科長、日本大学松戸歯学部付属病院心臓血管外科科長を歴任しており、日本大学の心臓血管外科を設置する全ての付属病院で科長の経験がある。
鈴木 義弘(すずき よしひろ、1962年11月10日 - )… 鈴木 義弘(すずき よしひろ、1962年11月10日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(5期)、国民民主党副代表・同埼玉県連会長。 衆議院決算行政監視委員長、国民民主党幹事長代理、改革結集の会政調会長(初代)、埼玉県議会議員(4期)などを歴任。 埼玉県三郷市生まれ。日本大学第一高等学校、日本大学理工学部卒業。大学卒業後の1985年4月より、土屋義彦参議院議員の秘書を務める(土屋は1992年、参議院議員を辞職し、埼玉県知事に転身)。 1999年、埼玉県議会議員選挙に東11区(現・東10区 三郷市)から立候補し、初当選した。以後県議を4期13年務め、県議会環境防災農林委員長、文教常任委員長、暮らしの安全・安全対策特別委員長等を歴任。
竹田 光訓(たけだ みつくに、1962年8月9日 - )は、… 竹田 光訓(たけだ みつくに、1962年8月9日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 在日朝鮮人であり、本名は宋 光訓(ソン・グァンフン、송광훈)。 中学時代はバレーボール部に所属。日大一高時代は平松政次(横浜大洋ホエールズ)に憧れ、彼のフォームを手本にしていた。高校時代はエースとして活躍するが、3年夏は東東京大会4回戦で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は明治大学に進学。明治大学硬式野球部時代は、東京六大学野球リーグ3回優勝を経験。同期の広沢克己とともにチームを引っ張り、1983年春季リーグ、1984年秋季リーグの優勝に貢献。1983年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、いずれもMVPを受賞している。
山﨑 誠一郎(やまざき せいいちろう、1959年8月30日 … 山﨑 誠一郎(やまざき せいいちろう、1959年8月30日 - )は、日本の政治家。茨城県利根町長(1期)。利根町議会議員(2期)。 茨城県利根町布川に生まれ。布川小学校・利根中学校を経て、日本大学第一高等学校に進学する。高校在学中は野球部に所属し、甲子園を目指していた。大学は日本大学に進学し、体育会硬式野球部で野球を続けた。 1982年日本大学法学部政治経済学科卒業。同年、日本電信電話公社(現・NTT)に入社し、NTTドコモにて本社人事部課長や山梨支店企画総務部長、本社監査部長の要職を務める。 2019年に利根町議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2023年の町議選にて再選する。同年5月10日に、第28代町議会副議長となった。
白石 安男(しらいし やすお、1958年8月21日 - )は… 白石 安男(しらいし やすお、1958年8月21日 - )は、日本の医学者、教育者、武道家。博士(医学)(順天堂大学)。東京理科大学元教授。専攻分野は保健衛生学およびスポーツ医学。研究分野は保健衛生学、運動スポーツの疫学。東京理科大学維持会特別会員。東京都出身。 東京都荒川区南千住にて生まれる。日本大学第一中学校・高等学校を経て、東京理科大学理工学部数学科を卒業後、浦和市立東浦和中学校で教職(数学)に就く。 その後、中京大学大学院体育学研究科修士課程に入学し、スポーツと健康の疫学を専攻。妊産婦の水中運動と出生体重の関連について調査・研究を行った。1991年、同大より体育学修士の学位を授与される。
新井 正人(あらい まさひと、1958年3月25日 - )は… 新井 正人(あらい まさひと、1958年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。コーラス・グループ『パル』及び、ソロバンド『ブランニュー・オメガトライブ』の元メンバー。JASRACメンバー。
橋本 雅司(はしもと まさし、1958年 - )は、日本の写… 橋本 雅司(はしもと まさし、1958年 - )は、日本の写真家。 1977年、日本大学第一高等学校卒業後、1981年、日本大学芸術学部写真学科を卒業。報道写真家の三木淳に師事。1983年、篠山紀信事務所で3年間勤務したのち独立。有限会社ハブロック代表を務める。1980年代からワニブックスをはじめ多数の出版社の写真集を撮っている。
渡辺 司(わたなべ つかさ、1957年2月16日 - )は、… 渡辺 司(わたなべ つかさ、1957年2月16日 - )は、東京都出身のプロゴルファーである。セガサミーホールディングス所属。
岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)… 岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)とは、船橋競馬場所属の元調教師である。日本大学第一高等学校卒業。2000・2010年代の南関東公営競馬を代表する調教師のひとりで、帝王賞をはじめ多くのビッグタイトルを制覇しており、中央競馬の重賞優勝も果たした。千葉県調教師会会長もつとめた。父・喜和も元調教師。 初出走は1988年7月14日船橋競馬第9競走(ミロク、2着)、初勝利は同年10月2日川崎競馬第2競走(コナウインズ)。 2007年11月12日船橋競馬第2競走で、地方競馬通算500勝を達成した。 2008年2月27日付で関東地区公営競馬協議会により認定厩舎(外厩)を認定された。場所はミッドウェイファームで馬房数は3。
保坂 英二(ほさか えいじ、1953年11月29日 - )は… 保坂 英二(ほさか えいじ、1953年11月29日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。 日本大学第一中学校時代に東京大会の決勝で早実中と対戦し延長戦で0-1と惜敗。その後早実から勧誘されたが、そのまま日本大学第一高等学校へ進学。 日大一高では入学直後から速球派左腕として1年から甲子園で登板機会を与えられる。1969年、1年生の時に夏の東京大会準決勝、2連覇を狙う日大一高はセンバツ準優勝の但田裕介を要する堀越を破り第51回全国高等学校野球選手権大会に出場。小山良春(日大-三協精機)の控え投手として2回戦で藤波行雄、松島英雄のいた静岡商に1-3で敗退するが、この試合で小山をリリーフして初めて甲子園のマウンドを踏んだ。
宇野 輝幸(うの てるゆき、1952年2月10日 - )は、… 宇野 輝幸(うの てるゆき、1952年2月10日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手)である。 日本大学第一高校(東京)では小山良春(日大-三協精機)、保坂英二の両投手を擁し、1969年の第51回全国高等学校野球選手権大会に出場。本来は捕手であるが、打力を活かし三塁手、四番打者として起用された。1回戦で東洋大姫路を降すが、2回戦では松島英雄、藤波行雄のいた静岡商に敗れる。同年秋、阪急ブレーブスのドラフト3位指名を受け、入団。 ブレーブスでは中沢伸二、河村健一郎に次ぐ三番手の捕手であったが、1977年には26試合に先発マスクを被り活躍。地味ではあるが1975年からのチームのリーグ4連覇・日本シリーズ3連覇に貢献している。
高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )… 高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1952年、国営競馬所属騎手高橋英夫の次男として生まれる。幼少期は騎手を志していたが、身体が大きくなり過ぎたために断念。代わって獣医師を志し、日本大学第一高等学校を経て、日本大学農獣医学部獣医学科に入学した。獣医師資格取得、大学卒業後の1973年より中山競馬場、次いで日本中央競馬会宇都宮育成場で獣医師助手を務める。宇都宮育成場では助手業の傍らで騎乗技術を習得、1975年に父・英夫の厩舎で調教助手となり、7年間を務めた。 1983年に調教師免許を取得。
林 龍郎(はやし たつろう、1952年 - )は、東京都出身… 林 龍郎(はやし たつろう、1952年 - )は、東京都出身の出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 日本大学第一高校では、主力打者として3年連続で夏の甲子園に出場。1968年夏の選手権に、1年上のエース小山良春(日大-三協精機)を擁し右翼手として出場するが、2回戦(初戦)で星林高に敗退。1969年夏の選手権では中堅手に回り、1回戦で東洋大姫路を降すが、2回戦では松島英雄、藤波行雄のいた静岡商に敗れる。他のチームメイトに捕手、三塁手の宇野輝幸がいた。1970年夏の選手権は1年下の保坂英二がエースとなる。1回戦で都城高を降すが、2回戦で大分商の小川清一に抑えられ敗退。 亜細亜大学に進学。東都大学野球リーグでは、1971年春季リーグでエース山本和行の好投もあって優勝を経験。
日高 富明(ひだか とみあき、1950年2月22日 - 19… 日高 富明(ひだか とみあき、1950年2月22日 - 1986年9月20日)は、日本の男性歌手。通称・TOMMY(トミー)。かつては堀内護と高校時代からの友人の松崎しげるともに「ミルク」の一員だった。その後、堀内と大野真澄とガロを結成。解散後、「幹竜一(みき りゅういち)」名義にて作家活動を行っていたこともあった。
松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日 - … 松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優。 本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)。通称マツ。東京都江戸川区出身。身長167cm、血液型はAB型。オフィスウォーカー所属。 江戸川区立第三松江小学校、江戸川区立松江第三中学校から日本大学第一高等学校を経て日本大学藝術学部(文芸学科とされる)卒業。 高校時代までは野球に打ち込むも、肘と肩を負傷して野球を断念。それ以降、音楽活動を始める。大学時代、後にガロを結成する日高富明(Tommy)、堀内護(Mark)と共に「ミルク(ホットミルク)」というバンドを結成する。当時、大橋プロダクションのマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされプロデビュー。
増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいし… 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年11月16日 - 2025年6月15日)は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手(ムード歌謡・演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。 7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。
山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、… 山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、東京都台東区出身の歌手、俳優、馬主、実業家。本名は、西川 賢(にしかわ けん)。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長、日本馬主協会連合会会長、中山馬主協会会長、ウエスタンファームオーナー。妻は元歌手の紅屋おかめ。父は新栄プロ会長及び有限会社北西牧場(現:ウエスタンファーム)の創業者である西川幸男。異母弟はプロゴルファーの西川哲。 本名の西川賢名義で日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を所有。冠名は「ウエスタン - 」、勝負服の柄は黄。北海道日高郡新ひだか町に生産牧場ウエスタンファーム(旧有限会社北西牧場、2009年名称変更)を持ち、所有馬のほとんどを自家生産するオーナーブリーダーでもある。
保谷 俊夫(ほうや としお、1948年4月10日 - 201… 保谷 俊夫(ほうや としお、1948年4月10日 - 2010年7月3日)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)。 東京都出身。日大一高では投手として、桜井憲とともに左右の二本柱となる。1966年の春季関東大会決勝で浅野高を降し優勝、この試合では先発を任され桜井につなぐ。夏の甲子園東京都予選では6回戦で敗退。182cmの長身から投げ降ろす速球には威力があった。他の高校同期に捕手の村上修(富士重工業)がいた。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから4位指名を受け入団。7年間で一軍登板はなく、1973年限りで引退。その後阪急・オリックスのスコアラーやマネジャーを歴任し、1994年からはファーム担当として若手育成に尽力し、2002年からオリックスの選手寮「青濤館」の寮長を務めていた。
桜井 憲(さくらい けん、1948年4月9日 - )は、茨城… 桜井 憲(さくらい けん、1948年4月9日 - )は、茨城県猿島郡境町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 中学時代から投手で、地元茨城から進学した日大一高では、エースとして1966年の春季関東大会決勝で浅野高を降し優勝。夏の都大会では6回戦で敗退したが、本格派右腕として各球団から注目された。高校同期に投の二本柱であった保谷俊夫、捕手の村上修(富士重工業)がいた。 1966年第1次ドラフト会議で東映フライヤーズから1位指名を受け入団。1967年8月19日に南海ホークスを相手に初先発。しかし野村克也に本塁打を喫し、1回途中で降板を余儀なくされる。同年のジュニアオールスターにも出場。1968年には30試合に登板、うち10試合には先発として起用される。
西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、… 西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。身長185cm。体重115kg。 1966年日本大学第一高等学校卒業、拓殖大学卒業。1972年の全日本選手権3位。ミュンヘンオリンピック柔道男子重量級銅メダリスト。 (階級表記のない大会は全て重量級での成績)
小林 正之(こばやし まさゆき、1947年2月5日 - )は… 小林 正之(こばやし まさゆき、1947年2月5日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。 日大一高では2年次の1963年に春夏連続で甲子園へ出場。春の選抜は内野の控えにとどまり、2回戦で東田正義・元田昌義を擁する御所工に敗退。夏の選手権では三塁手として出場し、1回戦で徳島商のエース・三好幸雄に抑えられて大敗を喫する。 高校卒業後は千葉商科大学に進学し、千葉県大学リーグでは在学中7度の優勝を飾り、4回も首位打者を獲得。中央球界では無名であったが、三拍子揃った内野手として阪急、巨人からも注目されていた。1969年には日本学生野球協会から表彰を受け、同年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。
中島 博範(なかじま ひろのり、1945年〈昭和20年〉11… 中島 博範(なかじま ひろのり、1945年〈昭和20年〉11月23日 - )は、日本の政治家。安中市長(3期)、群馬県議会議員(1期)、安中市議会議員(2期)を務めた。 群馬県碓氷郡原市町(現・安中市)に生まれる。父・丑五郎は木材製造業から建設業を興した人物で、原市町議会議員、安中市議会議員、同議長などを務めた。 1964年日本大学第一高等学校卒業。1967年日本大学経済学部中退。1968年に関東建設工業株式会社に入社。1981年安中青年会議所副理事長。 1983年に安中市議会議員に当選し、2期務める。1991年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から立候補し当選、1期務める。県議当選後に自由民主党に所属。
牧 太郎(まき たろう、1944年10月10日 - )は日本… 牧 太郎(まき たろう、1944年10月10日 - )は日本の新聞記者、ジャーナリストである。東京都日本橋区(現:中央区)出身で毎日新聞社編集委員。
大羽 進(おおば すすむ、1940年9月19日 - )は、東… 大羽 進(おおば すすむ、1940年9月19日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 中学時代から王貞治と対戦しており、地区大会決勝で対戦するも敗北。日本大学第一高校に進学。2年生時にはエースとして1957年夏の甲子園都予選決勝に進み、早稲田実業高の王と投げ合うが完封負けを喫する。しかし翌1958年春季関東大会都予選では早実高を完封、関東大会決勝まで進むが銚子商に惜敗した。夏の都予選では4回戦で敗退、甲子園には出場できなかった。王とは3度対戦したが1勝2敗であった。 高校卒業後は明治大学に進学する予定だったが、家業のメッキ工場が倒産したこともきっかけになって急遽進学をとり止め、プロ入りすることを決意し1959年に広島カープへ入団した。
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月… ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長。 紫綬褒章受章者、旭日小綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院会員。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家ちばあきお、ちばプロダクション社長千葉研作、漫画原作者七三太朗は実弟。
鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - … 鈴木 志郎康(すずき しろうやす、1935年5月19日 - 2022年9月8日)は、日本の詩人、映像作家。東京市江東区亀戸生まれ。本名・鈴木康之。 1952年頃から詩を書き始める。1954年、日本大学第一高等学校卒業、1961年3月、早稲田大学第一文学部仏文専修卒業。在学中の1959年に高野民雄と雑誌「青鰐」を刊行。1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務。 1963年頃から個人映画を作り始める。ジョナス・メカスの影響を受け、日記的な作品を多数制作。この年に詩集「新生都市」が発刊され、注目を浴びる。 1964年、天沢退二郎、渡辺武信、菅谷規矩雄、藤田治、彦坂紹男、秋元潔、山本道子、野沢暎、高野民雄とともに、雑誌「凶区」創刊。
畑山 博(はたやま ひろし、1935年5月18日 - 200… 畑山 博(はたやま ひろし、1935年5月18日 - 2001年9月2日)は、東京府出身の小説家、文学研究者。
野村 純一 (のむら じゅんいち、1935年3月10日 - … 野村 純一 (のむら じゅんいち、1935年3月10日 - 2007年6月20日)は、日本の民俗学者・文化人類学者・国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1985年)(学位論文「昔話伝承の研究」)。國學院大學名誉教授。2000年紫綬褒章受章。正五位瑞宝中綬章。 東京都出身。岩倉高等学校教諭、國學院大學兼任講師を経て、1966年専任講師。助教授を経て、1981年國學院大學文学部日本文学科教授。國學院大學図書館長も兼任し、國學院大學名誉教授。日本民俗学会理事、日本口承文芸学会会長、日本昔話学会理事など。2000年紫綬褒章受章。 いち早く、口裂け女を、民俗学・口承文芸の見地から研究し、日本における怪談研究、都市伝説研究の先駆けとなった。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は… 海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、日本の芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。旧名:海野かつお。東京府東京市(現・東京都区部)出身。 代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。 戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。 その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した。
笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 20… 笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 2017年11月8日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1950年、日本大学第一高等学校卒業。1954年、日本大学文学部国文学科卒業。1979年、日本大学文理学部教授。2002年、同名誉教授。 はじめ歌作を行う。評論は中世文学から出発し、1967年、『中世の発見』『中世の美学』を刊行。その後、近代文学における情念に関心を寄せながら、『虚構と情念』『泉鏡花 美とエロスの構造』『谷崎潤一郎 宿命のエロス』などを刊行。現代短歌や現代俳句も論じている。
室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 200… 室 俊司(むろ しゅんじ、1931年11月23日 - 2009年9月)は、日本の教育学者。立教大学名誉教授。 東京市(現墨田区)出身。1950年日本大学第一高等学校卒、1958年東京大学教育学部卒、64年同大学院博士課程満期退学、1963年『月刊社会教育』編集長、1964年立教大学文学部講師、66年助教授、73年教授、96年定年退任、名誉教授。
福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日… 福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日 - 2001年〈平成13年〉1月11日)は、NHKのアナウンサー。 東京生まれ。日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)を経て、千葉外事専門学校(現在の麗澤大学)を卒業した。 1949年(昭和24年)、NHKにアナウンサーとして入局した。同期には八木治郎、小川宏といった、後に民放のワイドショーで司会を担当するアナウンサーがいた。 1960年(昭和35年)から2年間、アメリカ・ワシントンのVOAに出向し、東京オリンピックをはじめとしたスポーツ実況、『ニュースセンター9時』(NC9)のスポーツコーナー、『スポーツアワー』の司会などスポーツキャスターの草分けとして活動し、夏冬で5回の五輪を担当した。