片山 史龍(かたやま しりゅう、2004年8月26日 - )… 片山 史龍(かたやま しりゅう、2004年8月26日 - )は、日本将棋連盟(東京本部)所属の将棋棋士。棋士番号は349。飯塚祐紀八段門下。東京都江東区出身。 アマチュアとしては、YAMADAこども将棋大会(小学生高学年の部)では、2014年8月の第8回で準優勝、2015年1月の第9回で3位の成績を挙げた。また、2015年4月の第40回小学生将棋名人戦では、東京23区代表として全国大会に出場しベスト4となった。 同2015年9月、関東奨励会に入会。 2025年10月1日付での四段昇段のため、同日時点で公式記録なし。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
広瀬 章人(ひろせ あきひと、1987年1月18日 - ) … 広瀬 章人(ひろせ あきひと、1987年1月18日 - ) は、将棋棋士。勝浦修九段門下。棋士番号は255。北海道札幌市出身。 東京都で生まれ、埼玉県さいたま市で育つ。アマチュア強豪であった父と兄の影響から4歳ごろから将棋に興味を持つ。小学3年から6年の4年間は、父の転勤により札幌市南区に在住し、将棋クラブに通い力をつける。小学生将棋名人戦では東日本大会に札幌市立澄川小学校4年生から連続して出場し、4年時は1勝を挙げるも同じ北海道代表で後に奨励会員となる相手に敗れる。5年時は、初戦で東日本3位となり後に高校将棋選手権優勝などの活躍をする相手に敗れた。6年時は東日本大会ベスト12に進出したが戸辺誠に敗れた。
飯島 栄治(いいじま えいじ、1979年9月16日 - )は… 飯島 栄治(いいじま えいじ、1979年9月16日 - )は、将棋棋士。桜井昇九段門下。棋士番号は236。「飯島流引き角戦法」で知られる。東京都江東区出身。 1991年、江東区立平久小学校6年生(出場時は5年生)のとき、第16回小学生将棋名人戦で準優勝。決勝戦の相手は、後に多数のアマチュア棋戦で実績を上げ、プロ公式戦でも棋士を相手に互角の勝負を演じた清水上徹であった(戦形は相矢倉)。同年、奨励会の入会試験に合格。入会から6年半をかけて三段昇段し、三段リーグ4期目の1999年度・第26回三段リーグを2位の成績で通過して2000年4月に20歳でプロ入り。(同回三段リーグの1位は当時15歳の渡辺明) 初参加から3期目の第16期(2003年度)竜王戦6組で準優勝。
所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )… 所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )は、将棋棋士。平野広吉七段門下。棋士番号は172。東京都江東区出身、千葉県育ち。千葉県立船橋旭高等学校卒。「株式会社所司一門将棋センター」の代表取締役社長も務める。 1978年、関東奨励会に5級で入会。1敗後に6連勝して4級昇級。 1985年、奨励会三段で9連勝し四段昇段、同年6月27日付でプロ入り。 初出場の第45期順位戦C級2組で9勝1敗・3位となり1期抜けでC級1組に昇級。その後、C級1組に15期連続で在籍した。C級1組で26人中8位の順位で迎えた第49期順位戦では、9勝1敗の成績ながら他の棋士の成績の兼ね合いからB級2組昇級を逃がす不運も経験。
加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月… 加藤 恵三(かとう けいぞう、1908年〈明治41年〉12月5日 - 1982年〈昭和55年〉6月26日、本名は「慶次」とも)は将棋棋士。棋士番号は22。故石井秀吉七段門下。東京都江東区出身。 明治41年、東京市深川区(現・東京都江東区)生まれ。小学校卒業後に家業を助けながら、1929年(昭和4年)に石井秀吉七段の門下となる。 1931年(昭和6年)初段入段、1937年(昭和12年)四段、その翌年に五段。 1957年(昭和32年)に引退。1968年の表彰感謝の日に七段を贈られる。 正義派で親孝行、人に好かれる明るい性格であり、また、若手の面倒をよく見る世話好きの人情家であった。 1982年6月26日、食道がんのため死去、享年73。
斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉… 斎藤 銀次郎(さいとう ぎんじろう、1904年〈明治37年〉10月7日- 1979年〈昭和54年〉12月15日)は、元将棋棋士。1966年に日本将棋連盟を退会、連盟在籍時は石井秀吉七段門下。 1904年、東京府城東区(現:東京都江東区)大島町で生まれる。 1927年に二段で石井秀吉に入門。1929年(昭和4年)に四段。 1937年(昭和12年)に八段。第2期名人戦(1937年 - 1940年)から八段リーグに参加し、第1期順位戦(1947年)ではA級に参加。1965年(昭和40年)に引退。 引退後の1966年8月20日に、「一身上の都合」により日本将棋連盟を退会した。退会に際し、日本将棋連盟は将棋雑誌に「お知らせ」を掲載した。