井土 徹也(いづち てつや、2000年3月16日 - )は、… 井土 徹也(いづち てつや、2000年3月16日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。BreakingDownミドル級ワンデイトーナメント優勝者。 2016年10月31日、プロレスリングHEAT-UPとどろきアリーナ大会で阿部史典、飯塚優とタッグを組み、対新井健一郎&高梨将弘&LEONA戦でデビュー。2018年10月31日、2度目の開催となったプロレスリングHEAT-UPとどろきアリーナ大会において、メインイベントで兼平大介が持つHEAT-UPユニバーサル王座に挑戦するも敗れる。 2021年5月2日、GLEAT所属となった飯塚優とハードヒットで対戦し、クロスヒールホールドで敗北。9月26日にBreakingDownが開催した『BreakingDown 第2回大会』で2016年RIZINアマチュア大会ミドル級優勝者のマツモモ峰周と対戦し、スプリット判定で勝利。
瑛凛(えり、1993年7月23日 - )は、日本の元女子プロ… 瑛凛(えり、1993年7月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都足立区出身。 父親に連れられて女子プロレス観戦したのを機にプロレスラーを目指す。 高校在学中の2010年、憧れの存在だった風香に弟子入り(夢に次ぐ二番弟子、須佐から1週間後に世IV虎が弟子入り)。10月31日の「ゆずポン祭」にて「須佐えり」のリングネームで美闘陽子とのエキシビションでリングデビュー。 しかし、その後行われたプロテストでなかなか通らず、一人残された12月24日の3度目のテストでついに合格。 1月23日、新木場1stRINGで開催された「スターダム旗揚げ戦 〜Birth of nova 新星誕生!〜」でデビュー。
黒潮TOKYOジャパン(くろしお トーキョー ジャパン、19… 黒潮TOKYOジャパン(くろしお トーキョー ジャパン、1992年9月19日 - )は、日本の男性プロレスラー。血液型A型。東京都足立区出身。以前のリングネームは黒潮"イケメン"二郎(くろしお イケメン じろう)、イケメン二郎。 2011年にSMASHでデビュー。Wrestle-1でWRESTLE-1リザルト王座などを獲得後、2020年から2023年まで米国WWEに所属。イケメン二郎というリングネームに変更し、傘下ブランドNXTでKUSHIDAとのジャケットタイム(Jacket Time)という日本人タッグなどとして活動した。 WWE退団後は黒潮TOKYOジャパンというリングネームで全日本プロレスなどにレギュラー参戦。
内藤 哲也(ないとう てつや、1982年6月22日 - )は… 内藤 哲也(ないとう てつや、1982年6月22日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家。東京都足立区出身。フリーランス。株式会社LOS TRANQUILOS de JAPON代表取締役社長。血液型AB型。 東京都足立区出身で、足立区立東島根中学校、東京都立足立東高等学校に通っていた。父親が新日本プロレスのファンであり、内藤も影響を受け小さい頃から自然とプロレスを見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたという。放任主義的な家庭に育ったが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時に父から「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られた。しかしあくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかった。
AKINO(アキノ、本名:秋野 美佳〈あきの みか〉、197… AKINO(アキノ、本名:秋野 美佳〈あきの みか〉、1973年10月24日 - )は、日本の女子プロレスラー。 プロレスラーになる前は沖縄にてダイビングインストラクターをしていた。 1998年7月21日、東京・後楽園ホールにおいて、対吉田万里子戦でアルシオンからプロレスラーとしてデビュー。アルシオン・ライセンスナンバーは13。 2003年6月22日、アルシオンが活動停止。翌日、メジャー女子プロレスAtoZに移籍。11月にAtoZを退団し、フリーに転向する。 2004年、吉田万里子、大向美智子、中西百重と共に、M's Styleを結成。M's Styleは2006年10月8日の興行で解散した。 2005年、5月に六本木で一緒にいた女性の腰を触ったトンガ国籍の男性と当時ラグビー日本代表の少年の逮捕に協力。
佐倉 輝美(さくら てるみ、1938年2月5日 - 2022… 佐倉 輝美(さくら てるみ、1938年2月5日 - 2022年1月11日)は、女子プロレスラー。本名は佐倉輝子。日本女子プロレス、国際プロレス女子部に所属した日本の女子プロレス創世期の選手として知られる。東京都足立区竹ノ塚出身。 学生時代は短距離を得意にし、運動神経は水泳以外は抜群だった。中学時代に柔道を経験したのち、親が新聞で目にしたプロレスラー募集広告をきっかけに東洋興業によって旗揚げされた東洋女子プロレス(媒体によっては東京女子プロレスとも表記)でデビュー。1954年に入門したが正確なデビュー日は不明。小畑千代や妹の小畑紀代よりは入門及びデビューは遅い。柔道と異なり体が大きな相手でも蹴りや小技で相手を倒せ、投げられてもうまく着地すれば次の行動や丸め込みにつなぐことがプロレスの魅力だったという。