出川 桃子(でがわ ももこ、1978年〈昭和53年〉1月7日… 出川 桃子(でがわ ももこ、1978年〈昭和53年〉1月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。松江市議会議員(1期)、島根県議会議員(1期)を務めた。 東京都調布市生まれ。高校時代はイギリスで暮らし、英国暁星国際学園を卒業。成蹊大学法学部政治学科卒業後、外資系国際見本市主催会社、東京大学生産技術研究所事務補佐員を経て、2012年に夫の故郷である島根県松江市に移住。 2017年4月、松江市議会議員選挙に立候補し、初当選。出川は自民党員であり、市議会最大会派の松政クラブに所属していたが、2020年10月には市役所新庁舎建設の中断を求める住民投票条例案に日本共産党市議団と共に賛成票を投じたため、松政クラブを除名された。
石井 めぐみ(いしい めぐみ、1958年10月18日 - )… 石井 めぐみ(いしい めぐみ、1958年10月18日 - )は、日本の政治家、元女優。本名は石井 葉子(いしい ようこ)。所属事務所は株式会社ワンダー。国立市議会議員(3期)。 東京都調布市出身。1977年、東京都立国立高等学校卒業。1977年、早稲田大学教育学部に入学と同時に、少女マンガ研究会『早稲田おとめちっくクラブ』を仲間3人と共に立ち上げた。初代の副会長。さらに在学中に友人の自主製作映画に出演し、8ミリ映画の賞を受賞したことをきっかけに、1979年に松竹映画『夜叉ヶ池』の木の芽峠の山椿(妖精)役で映画デビュー。続けて角川映画『金田一耕助の冒険』に町娘役で出演。テレビドラマには1980年にTBS系の『噂の刑事トミーとマツ』(第1シリーズ)の18話「花の芸者に恋したトミー」の芸者役でデビューし、同ドラマには21話から森村万里子婦警役でレギュラーで出演、自身の代表作となった。
中村 亨(なかむら とおる、1876年(明治9年)1月13日… 中村 亨(なかむら とおる、1876年(明治9年)1月13日 - 1957年(昭和32年)6月17日)は、明治後期から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、東京府北多摩郡調布町長。 神奈川県多摩郡上石原村(北多摩郡調布町、東京府北多摩郡調布町、東京都北多摩郡調布町を経て現調布市上石原)で、自由民権運動家中村克昌の長男として生まれる。二松学舎(現二松學舍大学)で学んだ。農業を営む。 1913年(大正2年)調布町会議員に就任。調布町助役、同町長、北多摩郡会議員、同参事会員を務めた。1924年(大正13年)東京府会議員に選出され、同参事会員、営業税調査委員、北多摩郡教育会副会長などにも在任した。 秋本喜七の地盤を受け継ぎ、1928年(昭和3年)2月、第16回衆議院議員総選挙(東京府第7区、立憲政友会公認)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
中村 克昌(なかむら かつまさ / こくしょう、1853年(… 中村 克昌(なかむら かつまさ / こくしょう、1853年(嘉永6年4月)- 1930年(昭和5年)5月31日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 武蔵国多摩郡上石原宿(布田五宿)(神奈川県北多摩郡調布町、東京府北多摩郡調布町、東京都北多摩郡調布町を経て現調布市上石原)で、上石原宿名主・中村勘六の長男として生まれた。呉服雑貨商を営む。 1872年(明治5年)初代戸長に就任。1873年(明治6年)新治県に出仕し庶務課の業務に従事。1879年(明治12年)民権政社「融貫社」が設立されると加入して自由民権運動に加わる。1881年(明治14年)10月、自由党の創立に三多摩壮士の一人として参画した。
原 豊穣(はら ほうじょう、1843年(天保14年) - 1… 原 豊穣(はら ほうじょう、1843年(天保14年) - 1917年(大正6年))は、日本の政治家。南多摩郡長および八王子町長を務めた。 1843年に武蔵国多摩郡調布の上布田村(現在の東京都調布市)で生まれる。幼名は泰輔。1880年4月、神奈川県勧業課御用掛になる。1882年6月、南多摩郡長に就任。1886年に愛甲郡長になる。1891年11月、再び南多摩郡長に就任。1893年に南多摩郡は神奈川県から東京府になる。1897年に郡長を辞任。1900年4月、八王子町長に就任し、1901年3月辞任。 豊穣は1870年から1913年まで日記を書いており、調布市で公開されている(ただし、1889年 - 1912年10月は空白になっている)。
中溝 昌弘(なかみぞ まさひろ、天保12年1月16日〈184… 中溝 昌弘(なかみぞ まさひろ、天保12年1月16日〈1841年2月7日〉 - 昭和2年〈1927年〉)は、明治時代の日本の地方政治家、自由民権運動家。地主、三多摩壮士の一人。 幕府御典医の白鳥昌領の次男として、北多摩郡上布田駅(現・東京都調布市)に生まれる。嘉永5年(1852年)、幕臣松平次郎太の門下生となった。同6年(1853年)に昌平坂学問所の素読吟味試験に合格した。慶応2年(1866年)、中溝ブンと婿養子として結婚した。この頃自宅で漢学塾を開く。 明治11年(1878年)に結成された「責善会」で石坂昌孝らと活動した。同年、11月18日に都筑郡長に、明治14年(1881年)6月28日には南多摩郡長に就任した。