長谷川 宙輝(はせがわ ひろき、1998年8月23日 - )… 長谷川 宙輝(はせがわ ひろき、1998年8月23日 - )は、東京都小平市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 幼稚園年長時から鷹の台スパローズで野球を始めると、 聖徳学園中学校では軟式野球部の投手としてプレー。その一方で、小・中学生時代には、地元球団である東京ヤクルトスワローズのファンクラブにも入っていた。 聖徳学園高等学校への進学後は、1年生の時の夏から背番号7番でベンチ入りを果たした。2年時の東京都秋季大会ブロック予選では、日本工大駒場高校戦で20奪三振、東大和高校戦で毎回奪三振と14奪三振を記録。「西東京のドクターK」として一躍注目された。3年生の時の夏の西東京大会では、多摩工業高校との2回戦で、6回までの登板ながら被安打1で毎回奪三振や11奪三振と好投。
小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - … 小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。旧登録名及び本名は小島 紳二郎(読み方同じ)。 中学時代は東村山リトルシニアでプレー。国士舘高等学校2年時の秋季東京都大会は、決勝での完封勝利など優勝に貢献。3年春の第72回選抜高等学校野球大会では初戦の高岡第一高等学校戦で完封勝利を挙げた。2回戦の智弁和歌山戦で8点差を逆転され敗退。同年6月に来日した全米高校選抜チームとの対戦では、東京都選抜チームのエースとして登板して勝利した。全国高等学校野球選手権東東京大会は、直前に肘を故障して登板することができず、チームは決勝で桑原義行を擁する日大豊山高等学校に敗れたため、甲子園での復帰は叶わなかった。
中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - … 中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。 ゲームクリエイターの中野渡昌平とは従兄弟にあたる。 東海大菅生高ではエースとして2年生だった1993年秋に東京都大会で準優勝するも決勝戦で大敗したため翌1994年春の選抜大会には選出されず、卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎に入社。2年目の1996年に都市対抗野球で完投勝利、その後は補強選手としても先発。1999年のドラフト会議で、横浜ベイスターズから7位指名を受けて入団しプロ入り。入団時、ユニフォームの背ネームの文字数が非常に多い(NAKANOWATARI=12文字)ことが話題となった。
栗山 英樹(くりやま ひでき、1961年〈昭和36年〉4月2… 栗山 英樹(くりやま ひでき、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、東京都小平市出身の野球指導者、元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を球団最長となる10年間務め、退任後も同球団の育成・編成補佐に携わっている。選手引退から監督就任までの間は白鷗大学教授としても活動しており、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ日本初のプロ野球監督でもあった。2026年、野球殿堂入りを果たした。 野球好きの兄に誘われ、小平市立小平第十三小学校時代に軟式野球を始める。厳格な父親が創設し監督を務める少年野球チーム「富士見スネークス」で徹底的に指導される。小平市立小平第二中学校では一度野球を離れ、バレーボール部のセッターとして活躍。