矢﨑 公二(やざき こうじ、1959年9月26日 - )は、… 矢﨑 公二(やざき こうじ、1959年9月26日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 長野県茅野市出身。茅野市立北山小学校、茅野市立北部中学校を経て長野県諏訪清陵高等学校に進む。高校では下宿生活を送った。1年浪人ののち、慶應義塾大学商学部に入学。1983年3月、同大学卒業。 その後、契約記者を経て、毎日新聞社入社。仙台支局、サンデー毎日、社会部、福岡報道部を経て、2005年に西部本社福岡本部報道部副部長、東京本社デジタルメディア局プロデューサーに就任。矢崎の就任中に、毎日新聞デジタルメディア局は日本の社会や風俗を低俗な内容で海外に紹介し続けた不祥事(毎日デイリーニューズWaiWai問題)が発生し、2008年に関係者が厳重処分を受けた。
柳平 千代一(やなぎだいら ちよかず、1953年(昭和28年… 柳平 千代一(やなぎだいら ちよかず、1953年(昭和28年)6月11日 - )は、日本の政治家。元長野県茅野市長(3期)、元長野県議会議員(1期)。 長野県茅野市出身。1972年(昭和47年)3月、諏訪清陵高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、茅野市に戻り総合食品会社の経営に当たる。 2003年(平成3年)4月の長野県議会議員選挙に無所属で出馬し初当選。 2007年(平成19年)4月22日に行われた茅野市長選挙に出馬。日本共産党推薦の牛山晴一との一騎討ちを制し初当選を果たした(柳平:16,577票、牛山:12,674票)。投票率は67.50%だった。4月30日、市長就任。
小川 一雄(おがわ かずお、1901年(明治34年)9月2日… 小川 一雄(おがわ かずお、1901年(明治34年)9月2日 - 1971年(昭和46年))は、昭和時代の政治家。長野県諏訪郡ちの町長、茅野市長。 長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)に生まれる。1919年(大正8年)湖畔学堂を卒業、富士見銀行に入社する。ついで、永明村収入役を経て、1949年(昭和24年)ちの町助役、同町長を歴任し、1955年(昭和30年)に茅野町が成立すると同町長に就任した。この間、諏訪郡町村会長、諏訪耕地協会長を兼任し、1958年(昭和33年)茅野市が発足すると、同市長となり1967年(昭和42年)4月まで3期務めた。 市長在任中には、道路整備、学校施設の整備、市民会館(現在の茅野市民館の前身)着工などの施策を進め、茅野市森林組合長、長野県国民健康保険連合会副理事長、諏訪林業振興会長、諏訪郡市水道研究会会長、茅野市観光連盟会長、茅野市農業共済組合長、諏訪土木振興会長、八ヶ岳中信高原国定公園協議会長などの要職を兼任。
塚原 葦穂(つかはら あしほ、1888年(明治21年) - … 塚原 葦穂(つかはら あしほ、1888年(明治21年) - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の政治家、教育者。長野県諏訪市長。勲五等瑞宝章。 長野県諏訪郡豊平村(現茅野市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、長野師範学校卒業。諏訪郡高島小学校訓導、同郡宮川小学校長、上高井郡視学、長野県視学を経て、1933年(昭和8年)高島小学校長兼高島裁縫専修学校長となる。また諏訪教育会長として二・四事件の事後処理に奔走した。また郷土史研究に力を入れ、『諏訪史』の編集刊行に尽力し、1937年(昭和12年)第2巻後編の刊行代表者を務めた。また同年から『諏訪史料叢書』の刊行に当たった。