碓井 稔(うすい みのる、1955年4月22日 - )は、日… 碓井 稔(うすい みのる、1955年4月22日 - )は、日本の実業家、機械工学者。セイコーエプソン取締役会長。前・代表取締役社長。 長野県塩尻市生まれ。父親は国鉄職員であった。 長野県松本深志高等学校から東京大学工学部へ進学。大手自動車関連メーカー勤務を経て、1979年11月に信州精器(現セイコーエプソン)に入社。 1988年、インクジェットプリンターの新方式ヘッド開発メンバーとなり、1990年にはKH(緊急ヘッド)プロジェクトのリーダーとなった。これがマイクロピエゾ方式インクジェットプリンターの開発、商品化につながったことから「プリンターの父」とも称される。 その後、役員、取締役を歴任し、2008年6月に代表取締役社長に就任。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月… 山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月8日 - )は、日本の実業家。みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。元富士銀行代表取締役頭取で、元みずほホールディングス代表取締役会長兼Co-CEO。長野県塩尻市出身。 企画畑などを経て、1986年から二年間、シカゴのヘラーインターナショナルコーポレーション(富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社、後にGEキャピタルに売却)に副社長として出向。 第一勧業銀行会長兼頭取の杉田力之、日本興業銀行頭取の西村正雄とともに、みずほフィナンシャルグループ発足を率いた。 退任直後である2002年4月に発生した大規模なシステム障害の責任を問われ、退職慰労金の支払いは見送られていたが、みずほFGが公的資金の返済を終えたことから、退任から5年後の2007年、山本、杉田、そして西村の遺族に慰労金は支払われた。
小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月2… 小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月20日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、昭和期の実業家、政治家。塩尻市長(初代)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 長野県東筑摩郡塩尻村(塩尻町を経て現塩尻市)で生まれた。1922年(大正11年)旧制松本商業学校5年次中途退学。家業の運送業に従事。1928年(昭和3年)から鉄道小運送業に従事(美勢運送合資会社勤務)し、1941年(昭和16年)から貨物自動車業を営む(塩尻陸運取締役)。1944年(昭和19年)5月、中信興業代表取締役に就任。1946年(昭和21年)に小松組(信州急送などを経て現信州名鉄運輸)を創業し、長野県内におけるトラック運送業の先駆けとなる。
川上 源一(かわかみ げんいち、1858年〈安政5年1月〉 … 川上 源一(かわかみ げんいち、1858年〈安政5年1月〉 - 1926年〈大正15年〉4月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 信濃国筑摩郡苅谷原村(現長野県松本市)生まれ。中山道塩尻宿(同県塩尻市)の脇本陣川上家の養子となる。慶應義塾で学んだ。1885年(明治18年)に塩尻町ほか11ヶ村の戸長に任命され、1891年(明治24年)長野県会議員となった。同年12月に発足した鉄道期成同盟会では評議員となり、篠ノ井線、中央本線敷設問題に尽力した。1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙に長野第4区から立候補したが、この時は落選している。1894年(明治27年)の第3回総選挙に再び長野第4区から立候補して当選した。