安竹 俊喜(やすたけ としき、2001年4月17日 - )は… 安竹 俊喜(やすたけ としき、2001年4月17日 - )は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 小学3年から地元焼津市の大富少年野球クラブで捕手として野球を始める。焼津市立大富中学校では軟式野球部に所属した。 高校は「甲子園に行きたい」という理由で、甲子園常連校かつ県内屈指の進学校でもある静岡県立静岡高等学校に、猛勉強の末に一般入試で入学。硬式野球部に所属した。2年春にチームが出場を果たした甲子園選抜大会ではベンチ外、3年夏の甲子園全国大会ではブルペン捕手としてチームを支えた。高校3年間で公式戦出場は1試合のみであった。 大学は出場機会を求め、国立静岡大学を受験。
川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は… 川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投右打。 小学3年生の時から野球をスタート。同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている。 東海大学第一中学校(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)時代は「1番・捕手」で、3年時に全国大会ベスト8を経験。東海大相模高校への進学後は、4番打者を任された。3年夏の神奈川大会で決勝まで進んだが、在学中には春夏ともに、甲子園に出場できなかった。ちなみに、当時の同級生であった原拓也とは、後にオリックスでもチームメイトになっている。
牧田 和久(まきた かずひさ、1984年11月10日 - )… 牧田 和久(まきた かずひさ、1984年11月10日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、コーチ。 現役時代はNPBの埼玉西武ライオンズやMLBのサンディエゴ・パドレスなどでプレーし、先発・中継ぎ・抑えと幅広い役割をこなす事から「困った時の牧田」と称されていた。西武時代1年目の2011年にはパシフィック・リーグの新人王を受賞している。 愛称は"マッキー"、"牧やん"。 焼津市立小川中学校から静清工業高等学校に進学。1年時の秋にアンダースローに転向した。甲子園出場はない。 平成国際大学ではエースとなり、2年時には大学日本代表として日米大学野球選手権大会に出場する。
増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は… 増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )… 庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )は、東京都生まれ静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学4年の時に野球を始める。静清工業高校では投手を務め、エースとして1992年の夏の静岡県予選でチームを準優勝に導いた。東都大学野球連盟の国士舘大学に進学後、2年次からは外野手に転向。1部リーグ通算2季で、11試合に出場、28打数5安打、打率.179、本塁打、打点はなし。 卒業後の1997年より河合楽器でプレー。主に4番として都市対抗野球大会に2度出場した。1999年には6月13日の都市対抗静岡代表決定戦で顎に死球を受け、意識を失い複雑骨折する重傷を負ったが医者を説得して早期復帰し、本大会にも出場している。
興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、… 興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(三塁手)。旧名は「達雄」。
田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 -… 田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。