加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 - )は、日本の元… 加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 - )は、日本の元左翼運動家・元新左翼、現農家。元日本共産党(革命左派)神奈川県委員会・元連合赤軍メンバー。刑務所の中で3-4年後に新左翼思想から転向し、出所後は農家となり、自民党員となった。 1952年愛知県刈谷市出身。高校2年の時に東海高等学校在学中に名古屋市内の繁華街で沖縄返還を求めるデモに偶然出会って以降、学生運動や新左翼運動にのめり込んだ。そして、3歳年上の長兄加藤能敬の影響で毛沢東を信奉し、「反米愛国」をスローガンに掲げ、「銃のみが政権を生み出す」といった毛沢東理論に基づき、銃砲店から猟銃・散弾実包などを強奪する事件を起こす新左翼テロ組織の中京安保共闘(日本共産党革命左派神奈川県委員会)に入った。
加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月… 加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月4日)は、日本の革命運動家。連合赤軍メンバー。 愛知県刈谷市出身。東海中学校・高等学校を経て和光大学人文学部入学。京浜安保共闘に参加。 あさま山荘事件で逮捕された加藤兄弟(加藤倫教、その弟)は彼の弟達で、「加藤3兄弟」と呼ばれた。女性メンバーと交際していたのが元で、山岳ベース事件でリンチに遭い、死亡。22歳没。なお、相手は1月1日に殺害されている。 父親は小学校教員であったが、あさま山荘事件直前に引責辞職していた。
野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9… 野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9月24日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 愛知県碧海郡富士松村(現・刈谷市井ケ谷町)の小作農の家に生まれる。高等小学校卒業後、国有鉄道米原機関区に就職した。1942年に日本国有鉄道名古屋鉄道教習所を卒業し、20歳で一人前の機関士となった。 召集され、1944年1月、フィリピン群島に送られる。同年夏、上陸用舟艇の艇長としてルソン島に転進。マニラ郊外に上陸後捕虜となる。1945年12月8日に輸送船に乗り、呉海兵団基地に帰還した。野々山の部隊は約960名編成されていたが、生存者はわずか20数名であった。
渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - … 渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - 1982年4月23日)は、日本の政治家、労働運動家。民社党の衆議院議員(5期)。 愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町)の三州瓦を扱う商家に生まれる。11歳のときに父親を亡くす。1937年、高等小学校を卒業。1938年、豊田自動車工業株式会社に就職。1943年、豊田工科青年学校(現・トヨタ工業学園)を卒業。 徴兵され、中国大陸各地を転戦した。1946年、復員。1948年3月に全日本自動車産業労働組合が結成されると、同組合東海文部の法規対策部長に就任。1955年から挙母市(現・豊田市)議会議員を1期務めた。 1966年9月から1969年8月までトヨタ自工労働組合委員長を務めた。