栗山 正隆(くりやま まさたか、1945年(昭和20年)6月… 栗山 正隆(くりやま まさたか、1945年(昭和20年)6月23日 - )は、日本の政治家。元京都府亀岡市長(3期)。 京都府亀岡市出身。篠村立安詳小学校(現:亀岡市立安詳小学校)、洛星中学校・高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、京都大学農学部卒業。同年4月、京都府職員に採用された。 2003年(平成15年)10月6日、亀岡市長の田中英夫が次期衆院選に出馬するために辞職。これに伴って11月9日に行われた亀岡市長選挙に出馬し初当選。2007年(平成19年)、2期目の当選。2011年(平成23年)、3期目の当選。 2015年(平成27年)6月25日、次期市長選に立候補しないことがメディアで報道された。
山本 平三郎(やまもと へいざぶろう、1873年〈明治6年〉… 山本 平三郎(やまもと へいざぶろう、1873年〈明治6年〉3月15日 - 1931年〈昭和6年〉1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 京都府桑田郡、のちの南桑田郡曽我部村(現亀岡市)出身。鉄工業、建築請負業、海運業を営み、神戸市会議員となる。兵庫県土木建築請負業組合長、神戸市土木建築請負業組合相談役、神戸商工会議所議員兼常任議員、桜麦酒(株)監査役、相良銀行、相良運輸(株)取締役を務めた。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲民政党公認で当選、1期務める。当選した翌1931年1月に死去した。
中川 小十郎(なかがわ こじゅうろう、1866年2月18日(… 中川 小十郎(なかがわ こじゅうろう、1866年2月18日(慶応2年1月4日) - 1944年(昭和19年)10月7日)は、元貴族院議員、文部省官僚で、京都法政学校(現在の立命館大学)創立者。丹波国南桑田郡馬路村(現在の京都府亀岡市馬路町)生まれ。 官僚 教育者 実業家
14代 西村 治兵衞(治兵衞、にしむら じへえ、1861年5… 14代 西村 治兵衞(治兵衞、にしむら じへえ、1861年5月4日(文久元年3月25日)- 1910年(明治43年)12月14日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、京都市会議長、千切屋治兵衛家14代当主(貞規)。旧姓・矢田。 丹波国桑田郡、のちの京都府南桑田郡亀岡町(現亀岡市)で、素封家・矢田勘助の二男として生まれる。丹波亀山藩儒・吉田大年、三上忠六らに師事し漢学、仏法典を修めた。1880年(明治13年)京都の呉服商・13代西村治兵衛貞慶の養嗣子となる。1884年(明治17年)養父の死去に伴い家督を継承し14代治兵衛を襲名した。 家業を継承しその発展に尽力。西陣織物商組合組長、京都染呉服商組合長を務めた。
田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853… 田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853年2月10日) - 大正11年(1922年)4月3日)は、京都府旧桑田郡亀山北町生まれの政治家、実業家。1869年亀岡陸運を創業、のちに京都株式取引所、京都商工銀行、亀岡銀行の各頭取などを務めた。衆議院議員当選3回(1、2、3回総選挙)、貴族院多額納税者議員。 丹波国桑田郡亀山北町(現在の京都府亀岡市)に、田中蔵一の次男として生まれたが、兄が早くに亡くなったため田中家の家督を継ぐべく英才教育を受けて育った。北村龍象の私塾学半堂や横井忠直、山本覚馬らにも師事し、儒学、政治経済など幅広い分野を成績優秀で修めたとされる。田中家は代々亀山藩の御用商人として取り立てられた商家として栄え、父・蔵一は櫓奉行格に取り立てられ、会計方として亀山藩に仕えていた人物であったため、源太郎も経済界で活躍することを期待されて育った。
田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10… 田中 数之助(數之助、たなか かずのすけ、1849年9月10日(嘉永元年8月13日)- 1924年(大正13年)4月7日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員、京都府南桑田郡亀岡町長。旧姓・原田。 丹波国桑田郡西条村(京都府南桑田郡曽我部村字西条を経て現亀岡市曽我部町西条)で、大地主、農業・原田八六の二男として生まれる。1869年(明治2年4月)桑田郡亀岡北町(現:亀岡市北町)の田中蔵一の養子となり、1872年(明治5年2月)分家して安町(現:亀岡市安町)に一家を構えた。 その後、通称「新酒屋」と称される酒造業を営み、銘酒「天狗」の販売で知られた。1888年(明治21年)南桑田郡酒造組合長に就任し31年間在任。