上崎 勝規(うえさき かつのり、1955年(昭和30年)4月… 上崎 勝規(うえさき かつのり、1955年(昭和30年)4月10日 - )は、日本の政治家。元兵庫県洲本市長(1期)。 兵庫県洲本市出身。兵庫県立洲本高等学校、関西学院大学経済学部卒業。1979年洲本市役所に入る。市役所では総務部長、企画情報部長を経て、副市長となる。 2021年11月、洲本市長竹内通弘が、翌年3月の市長選挙に立候補せず、任期満了を以って退任する意向を示した。副市長の上崎は出馬に意欲を示し、11月24日に正式に立候補を表明した。 2022年3月6日に行われた洲本市長選挙に出馬。元市議ら2名の候補者を破り、当選を果たした。 2026年3月8日に行われた洲本市長選挙に2期目を目指して出馬したが、新人の吉平敏孝に敗れ落選。
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日… 山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。京都府京都文化博物館長、学校法人京都産業大学理事長。 京都府知事(公選第15・16・17・18代)、全国知事会会長(第11代)、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表・「知事・市町村長連合会議」座長、京都舞鶴港振興会会長、関西観光本部副理事長を歴任した。 兵庫県洲本市で生まれ、後に伊丹市、東京都杉並区に転居。桐朋高等学校、東京大学法学部卒業。1977年4月、自治省(現・総務省)に入省した。本省勤務の他、和歌山県や高知県、内閣法制局、国土庁への出向も経験し、1999年より京都府総務部長。
竹中 恒夫(たけなか つねお、1902年4月30日 - 19… 竹中 恒夫(たけなか つねお、1902年4月30日 - 1971年2月4日)は、日本の政治家、参議院議員(1期)、歯科医師。日本歯科医政連盟会長、日本歯科医師会会長。 兵庫県洲本市出身。大阪歯科医学専門学校卒業、歯学博士。1956年7月、第4回参議院議員通常選挙に出馬し、初当選。1963年10月、参議院地方行政委員長に就任。1965年6月、第1次佐藤第1次改造内閣で大蔵政務次官に就任。 1971年2月4日死去、70歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される。
10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(… 10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(安政4年7月22日) - 1915年(大正4年)12月31日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長、北海道河西郡帯広町長。旧姓・富永、初名・守次郎。 淡路国津名郡(後の鮎原村、現洲本市)で富永包方の二男として生まれる。徳島藩校で漢学、撃剣を修め、その後英語を学んだ。1877年、洲本町の商人・9代奥野小四郎の死去に伴い、その養嗣子となり10代小四郎を襲名。 1881年、淡路汽船 (株) を起こし翌年社長に就任。淡路紡績 (株) 社長、淡路製陶 (株) 社長などを務めた。その他、洲本町長、洲本町会議員、洲本商工会会長、津名郡会議員、同郡会議長、同郡参事員、徴兵参事員、兵庫県会議員などを歴任。
高鍋 篤郎(たかなべ とくろう、1856年4月25日(安政3… 高鍋 篤郎(たかなべ とくろう、1856年4月25日(安政3年3月21日)- 1920年(大正9年)11月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 淡路国津名郡、のちの兵庫県津名郡広石村(五色町を経て現洲本市)で生まれた。漁業に従事する。兵庫県会議員、同常置委員となる。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において兵庫県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務めた。1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。大浦事件で1916年に懲役2か月、執行猶予3年、追徴金300円の判決を受けた。これにより大礼記念章を褫奪された。1920年死去。
高津 雅雄(こうつ まさお、1855年6月19日(安政2年5… 高津 雅雄(こうつ まさお、1855年6月19日(安政2年5月6日) - 1933年(昭和8年)3月7日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 淡路国津名郡河上村(のち兵庫県津名郡鮎原村→五色町、現・洲本市)の大地主の家に生まれる。徳島藩立郷学校に入り、漢籍を学び、その後、上京し、英語と漢学を修める。小学校教員、学校世話掛、河上村戸長、学区取締、鮎原村長、同村会議員、津名郡連合会議員、同郡会議員、兵庫県会議員、同常置委員、徴兵参事員となる。また、北浜銀行取締役となり、ほか、由良町長、津名郡農会長、同教育会長、愛国銀行取締役頭取を務めた。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫10区から自由党公認で立候補して初当選。
三田 昇馬(みた こうま、1836年4月30日(天保7年3月… 三田 昇馬(みた こうま、1836年4月30日(天保7年3月15日)- 1901年(明治34年)5月20日)は、幕末から明治期の徳島藩家老稲田家重臣、裁判官、政治家。貴族院勅選議員。初名・直方、号・高陽間人。 淡路国津名郡洲本城下洲本紺屋町(現兵庫県洲本市)で、稲田家家臣・三田省輔の三男として生まれる。稲田家学問所・益習館で学んだ。内藤弥兵衛、立木兼善らと天誅組運動に加わり徳島藩から禁固処分を受けたが、朝廷の命により釈放された。明治元年2月(1868年)軍監役、糺問局頭取として有栖川宮 東征大総督の護衛として東征に従軍した。 明治2年6月17日(1869年7月25日)の版籍奉還で稲田家旧家臣が士族に編入されなかったため、七条弥三右衛門、内藤弥兵衛らと徳島藩からの分藩運動を起こした。