肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - … 肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - )は、兵庫県加東市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 現在は日本プロ野球選手会事務局の職員。 小学4年時生から野球を始めると、小野市立河合中学校時代に軟式野球部で全日本少年軟式野球大会に出場している。 兵庫県立北条高等学校への進学後は、2年秋から主将を務めた。硬式野球部は部員19人という少ないながら、兵庫県高校野球秋季県大会では、準々決勝で姫路工業高校に6対3で勝利し、初の大会4強入りを果たすという躍進をみせた。更なる上位進出を狙ったが、準決勝で神戸国際大附属高校と対戦するが敗戦、3位決定戦の関西学院高校との対戦では0-1と惜敗。
下山 真二(しもやま しんじ、1975年12月1日 - )は… 下山 真二(しもやま しんじ、1975年12月1日 - )は、元プロ野球選手(外野手)、指導者。兵庫県加東郡社町(現・加東市)出身。
堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、… 堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者。 兵庫県加東市出身。小学校4年次に東京へ転居し世田谷リトルリーグで野球を始める。中学校へ進学すると一転してハンドボール部へ入るという生活を送った。 だが、野球への思いも断ち難く進路に迷っている時に佐藤道輔(当時=東京都立東大和高等学校野球部監督)の著書『甲子園の心を求めて 高校野球の汗と涙とともに』を読んで大いなる感銘を受けたことがきっかけで「都立高校で野球をしよう」と思い立ち、東京都立千歳高等学校(現:東京都立芦花高等学校)へ進学する。 高等学校卒業後は一年浪人して東北地区の大学野球の名門たる東北福祉大学へ入学し、内野手にコンバートされる。
芥田 武夫(あくた たけお、1903年10月20日 - 19… 芥田 武夫(あくた たけお、1903年10月20日 - 1987年9月5日)は、日本のアマチュア野球選手・プロ野球監督・プロ野球球団経営者、スポーツ記者、野球解説者。兵庫県加東市出身(姫路市野里町とする資料もあり)。旧姓:氷室(ひむろ)。 兵庫県立姫路中学校卒業後、1922年に早稲田大学へ入学。早大野球部では飛田忠順監督の「精神野球」に鍛練され、外野手として活躍。1925年秋季には東京六大学リーグ最初の首位打者を獲得した(当時は「氷室武夫」)。1926年には主将を務めた。大学時代の通算成績は65試合出場、240打数63安打、打率.263、2本塁打(六大学リーグ以前も含む)。卒業後、満洲国へ渡り南満洲鉄道に入社し満洲倶楽部(大連市)の選手として活動。