高岡 直吉(たかおか ただよし、安政7年1月22日(1860… 高岡 直吉(たかおか ただよし、安政7年1月22日(1860年2月13日) - 昭和17年(1942年)9月1日)は、日本の内務省官僚・政治家。鹿児島県知事、島根県知事、宮崎県知事、初代札幌市長、錦鶏間祗候。勲二等瑞宝章。津和野藩出身。 北海道帝国大学総長である高岡熊雄は実弟にあたる。甥に高岡周夫がいる。 1860年、津和野藩士・高岡道敬、英の嫡男として石見国鹿足郡後田村(現・島根県鹿足郡津和野町後田)に生まれる。藩校養老館で学び、後に浜田県立英学所で学んだのち、官立東京英語学校から札幌農学校に進んだ。同校を卒業後の1882年(明治15年)山口県御用掛となり、1885年(明治18年)山口県立農学校の初代校長に就任する。
福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日… 福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日〈安政3年11月16日〉- 1921年〈大正10年〉5月19日)は、日本の造園家、園芸家、官僚、農学者。位階・勲等は正三位勲一等。爵位は子爵。宮内省で長く宮廷園芸技師として活躍、小豆島のオリーブや「福羽いちご」として知られるイチゴなど植物栽培、花弁果樹野菜等の品種改良など園芸分野で多く貢献をしたほか、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備、武庫離宮(須磨離宮)の庭園設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計に当たった。 石見国津和野藩にて津和野藩士、佐々布利厚の三男として生まれる。父とは3歳のときに死別した。1872年(明治5年)、16歳のとき、国学者の同藩士・福羽美静の養子となる。
福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月… 福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は、日本の国学者・宮内官僚。通称は「文三郎」、号は「木園」、「硯堂」。 1831年(天保2年)、津和野藩士・福羽美質の長男として生まれた。幼少の頃に軽業(かるわざ、曲芸)師の真似をしようとして綱渡りをした際に誤って転落、腰部の関節を挫傷したために身長が伸びず、大人になっても5尺(約151.5cm)に満たなかったといわれる。父の友人から諭されて勉学に励み、1849年、19歳で藩校・養老館に入学して漢学や山鹿流兵学を学んだ。また荒木田守武の和歌に感銘を受け、歌道にも精進した。
西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 189… 西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 1897年〈明治30年〉1月31日) は、日本の啓蒙思想家・教育者、官僚。西 周助とも。爵位は男爵。 石見国津和野藩(現:島根県津和野町)の御典医の家柄。幼名、経太郎。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鷗外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。 漢学の素養を身につける他、天保12年(1841年)に藩校・養老館で蘭学を学んだ。安政4年(1857年)には蕃書調所の教授並手伝となり津田真道と知り合い、哲学ほか西欧の学問を研究。文久2年(1862年)には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダに留学し、ライデン大学でシモン・フィッセリング(ドイツ語版)に法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。