藤井 風(ふじい かぜ、Fujii Kaze、1997年〈平… 藤井 風(ふじい かぜ、Fujii Kaze、1997年〈平成9年〉6月14日 - )は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト。本名同じ。岡山県浅口郡里庄町出身。日本を代表するアーティストとして評価されることもある。 岡山県浅口郡里庄町にて、4人兄弟姉妹の末っ子として生まれる。3歳よりピアノを習い始め、ジャズ・クラシック・ポップス・歌謡曲・演歌など、多様なジャンルの音楽に触れる。 小学校卒業前に「これからはYouTubeの時代」という父の直感で、2010年1月1日(当時12歳)より、実家の喫茶店(現在は閉店)にて撮影したピアノ演奏を、YouTubeに投稿し始める。クラシックからJ-POP、洋楽など、様々な楽曲を耳コピ・アレンジしており、特に、2012年に投稿された「千本桜」ピアノ演奏動画などで、再生回数を獲得した。
森藤 友綺(もりとう ゆき、1993年9月14日 - )は、… 森藤 友綺(もりとう ゆき、1993年9月14日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。岡山県里庄町出身の遊撃手。右投げ右打ち。 神村学園高等部出身。2011年に日本女子プロ野球機構による第3回合同トライアウトを受験し合格。プロ1年目の2012年は、大阪ブレイビーハニーズに所属。3月27日の兵庫スイングスマイリーズ戦(京セラドーム大阪)で初出場、4月1日の兵庫スイングスマイリーズ戦(わかさスタジアム京都)で初ヒットを記録している。翌2013年は組織変更によりウエスト・フローラの選手としてプレー。9月2日には、出身地の里庄町大内恒章町長を表敬訪問している。同シーズン後、来期の契約を結ばないことが発表された。
ぴろき(本名:佐藤 浩樹(さとう ひろき)、1964年1月1… ぴろき(本名:佐藤 浩樹(さとう ひろき)、1964年1月1日 - )は落語芸術協会・漫才協会に所属する漫談家・お笑い芸人。岡山県浅口郡里庄町出身、東京都在住。現在はウクレレ漫談で寄席を中心に活動している。 ちょんまげ・丸眼鏡・チェックデカシャツという出で立ちで、ウクレレを弾きながら自虐ネタの漫談を披露する。ぴろきの“ぴ”は、ピエロの“ピ”に由来するという。 東京の大学に進学するが中退し、1986年、東八郎主宰の「笑塾」に入門。浅草ロック座の専属コメディアンとなる。1989年、漫才協会に入会し、漫才コンビ「カッポラポッケ」を結成、コンビは8年ほど続けたが解散しピン芸人となる。 1994年、トークと風船芸を交えた独自の「風船漫談」ジャンルを確立。
赤木 功(あかぎ いさお、1963年〈昭和38年〉 - )は… 赤木 功(あかぎ いさお、1963年〈昭和38年〉 - )は、日本の政治家、元地方公務員。岡山県浅口郡里庄町長(1期)。 岡山県浅口郡里庄町出身。 大学を卒業後の1986年(昭和61年)頃、里庄町役場に入職。役場内では総務課長などの要職を歴任し、長年にわたり町政の実務に携わった。2023年(令和5年)4月からは里庄町の副町長に就任し、当時の町政(加藤吉章町長)を支えた。町長選挙への出馬を見据え、2025年(令和7年)9月に副町長を辞職。 2026年(令和8年)1月13日、任期満了に伴う里庄町長選挙が告示され、無所属・新人で立候補。赤木のほかに立候補の届け出がなかったため、無投票での初当選が決まった(里庄町長選における無投票当選は2018年以降3回連続)。
仁科 芳雄(にしな よしお、1890年〈明治23年〉12月6… 仁科 芳雄(にしな よしお、1890年〈明治23年〉12月6日 - 1951年〈昭和26年〉1月10日)は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京帝国大学・1930年)。日本現代物理学の父。 岡山県浅口郡里庄町浜中出身。東京帝国大学卒。日本に量子力学の研究拠点を作ることに尽力し、理化学研究所(理研)に在籍して宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。 死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。この財団では毎年、原子物理学とその応用に関して著しい業績を上げた研究者に仁科記念賞を授与している。また理研の仁科加速器科学研究センターにも名を残す。 ニールス・ボーアの下で身に着けたその自由な学風は、自由で活発な精神風土を日本にもたらし、日本の素粒子物理学を世界水準に引き上げた。
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月… 小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の財政学者、政治家。京都帝国大学経済学部教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等、法学博士。旧姓・村山。 岡山県浅口郡、のちの里庄村(現里庄町)で村山菊蔵の長男として生まれる。岡山県医局長で医師の小川知彰の養子となり、岡山中学、開成中学、旧制第一高等学校を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学に入学。 1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科次席卒業。首席は小野義一(大蔵官僚、高文次席)、3位が上杉慎吉(東大教授、憲法学者)、4位は馬場鍈一(大蔵官僚、高文首席)。