小倉 博俊(おぐら ひろとし、1948年〈昭和23年〉 - … 小倉 博俊(おぐら ひろとし、1948年〈昭和23年〉 - )は、日本の政治家。岡山県真庭郡新庄村長(通算7期)。岡山県町村会会長。 岡山県真庭郡新庄村生まれ。地元の小中学校を卒業後、福岡県内の福岡大学へ進学した。大学時代は書道部に所属。アルバイトとして政治に関わったことから政治の世界に関心を持ち、大学卒業後に上京。衆議院議員の大村襄治(第39代防衛庁長官)の秘書を務めた。 1990年(平成2年)、42歳で新庄村長選挙に立候補し初当選。以後、4期連続(16年間)で村長を務めた。在任中の2000年代前半には、平成の大合併の波が押し寄せる中、周辺自治体との合併を行わず「小さくても自主自立の村」を目指す『新庄村宣言』を村議会で決議した。
酒井 賢(、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本… 酒井 賢(、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本映画の美術監督。岡山県真庭郡新庄村出身。 地元の岡山県立勝山高等学校を卒業後、多摩美術大学卒業。1961年に、東宝へ入社。美術助手として、黒澤明、成瀬巳喜男、市川崑、岡本喜八、森谷司郎、熊井啓、降旗康男などの監督作品に参加した後、美術監督に移行する。『「さよなら」の女たち』、『マイフェニックス』、『ゴジラVSキングギドラ』から『ゴジラVSスペースゴジラ』までのゴジラ作品を担当したあとの1998年、東宝を退社してフリーになる。小泉堯史監督作品『阿弥陀堂だより』(2002年)、『博士の愛した数式』(2006年)、『明日への遺言』(2008年)、『蜩ノ記』(2014年)、『峠 最後のサムライ』(2022年)の美術を手掛ける。
前田 金四郎(まえだ きんしろう、1871年〈明治4年〉9月… 前田 金四郎(まえだ きんしろう、1871年〈明治4年〉9月16日 - 1962年〈昭和37年〉2月15日)は北海道十勝地方の富農。本別村会議員などを務め本別町の開拓功労者に認定されている。 1871年(明治4年)9月16日、岡山県真島郡新庄村(現在の真庭郡新庄村)に生まれる。1898年(明治31年)に故郷を離れ、池田町青山に移住する。翌1899年(明治32年)本別町美里別に入植。青山トメと結婚する。 1915年(大正4年)から1937年(昭和12年)の間、6期18年にわたって本別村会議員を務めたほか、農会総代人、評議員、副会長を歴任、1935年(昭和10年)には本別農会長となった。また本別町立本町中学校(現在の北海道本別高等学校)の敷地の提供、設立資金の寄付なども行った。
綱島 佳吉(つなしま かきち、1860年8月12日(万延元年… 綱島 佳吉(つなしま かきち、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1936年6月27日)は、日本の会衆派教会の牧師である。 1860年(万延元年)医師綱島行篤と母もんの二男として美作国真島郡新庄村に生まれる。大阪で、松村矩明に医学を学ぶ。1877年(明治10年)大阪で波花教会を設立するときに、牧師の沢山保羅より洗礼を受ける。同年同志社の神学部に編入し新島襄の教えに心酔する。 1879年(明治12年)、同志社在学中に上代知新と共に鳥取に派遣される。1880年(明治13年)6月に卒業して、西京第三公会(平安教会)の伝道師になる。日本組合基督教会の成立に伴い、各地に派遣され福島など東北地方の伝道などを行う。