安藝 貴範(あき たかのり、1971年1月26日 - )は、… 安藝 貴範(あき たかのり、1971年1月26日 - )は、日本の実業家。学位は学士(経営学)(大阪府立大学・1993年)。株式会社グッドスマイルカンパニー代表取締役社長(初代)。 コナミ株式会社勤務、グラムス株式会社勤務、株式会社バンプレスト勤務を経て、有限会社グッドスマイルカンパニー代表取締役社長などを歴任した。 香川県大川郡津田町(現・さぬき市)にて家具屋の息子として生まれる。家具職人をしていた祖父が起業し、戦後の家具需要で成長したこともあった。幼い頃から勉強ができ小中高と生徒会長を務めていたほか、野球にも打ち込みキャプテンにもなっていた。また当時出始めのコンピュータにも熱中し、最初の頃は近所の電気屋に1台あったものを使わせてもらっていたが、実家でアルバイトして貯めたお金やお年玉などで購入したという。
和田 富士一(わだ ふじいち、1903年〈明治36年〉12月… 和田 富士一(わだ ふじいち、1903年〈明治36年〉12月10日 - 1971年 <昭和46年> 5月29日)は、日本の実業家。共和水産社長。境港商工会議所副会頭。境港水産振興協会長。位階は正六位。 香川県大川郡津田町(現・さぬき市)出身。1920年、日本水産に入り朝鮮に勤務。1937年、朝鮮日水を設立、取締役。1940年、朝鮮慶北迎日郡九龍浦学校組合議員。 1941年、九龍浦漁業組合特別議員。1942年、九龍浦邑初代邑会議員。1945年、引き揚げる。1947年、朝鮮日水を共和水産に改称、常務。1952年、社長に就任、同年に境町商業会議所議員、同年に鳥取県西部海区漁業調整委員会長。1953年、鳥取県巾着組合副組合長。
橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 -… 橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年〈明治14年〉 - 1943年〈昭和18年〉)は、朝鮮九龍浦に居住した日本人実業家。橋本善吉商店店主。 香川県大川郡小田村(のち志度町、現・さぬき市)出身。九龍浦に移住し、妹婿植村倉太郎と共同で鮮魚運搬業を経営する。所有船は海興丸、鷹丸、千代丸、平安丸で、九龍浦を根拠地に朝鮮・関東州方面を活動舞台にする。その他大敷・巾着網漁業、イワシ加工など手広く経営する。 有志と協力して小学校創設に努力して、これを実現する。1938年7月に朝鮮慶尚北道九龍浦公立尋常高等小学校増築費金1322円を寄付したため、1939年12月に褒状を下賜される。学校組合管理者に挙げられる。
蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年… 蓮井 藤吉(はすい とうきち、1872年2月26日(明治5年1月18日)- 1941年(昭和16年)7月9日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、実業家。衆議院議員。 香川県寒川郡神前村(大川郡寒川村、寒川町を経て現さぬき市寒川町神前)で、蓮井吉平の長男として生まれた。 大川郡会議員、同郡参事会員となる。1898年(明治31年)香川県会議員に選出され、以後6期在任し県会議長、参事会員も務めた。1902年(明治35年)神前村会議員となり、6期務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に香川県第四区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 また、香川地方森林会議員、香川県水産組合長、屋島登山鉄道常務取締役、日本殖産監査役などを務めた。
松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3… 松家 徳二(まつか とくじ、1871年4月20日(明治4年3月1日)- 1929年(昭和4年)11月14日)は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 讃岐国寒川郡、後の香川県大川郡富田村(大川村、大川町を経て現さぬき市)で、農業・大庄屋、松家茂太郎の二男として生まれる。郷校で学んだ後、山川塾で漢学を修め、大阪に遊学した。1894年(明治27年)家督を相続した。 1898年(明治31年)香川県会議員に選出された。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に香川県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選。以後、第11回総選挙まで当選し、衆議院議員を連続5期務めた。