糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )… 糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた。 川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長。
篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )… 篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手(投手)、女子野球監督。右投左打。 小学2年で軟式野球を始め、中学時代は川之江ボーイズ(第10期生)に所属。愛媛県立川之江高等学校では、1年夏に県大会4強、1年秋に四国大会8強、2年夏に県大会4強を経験するが、同校野球部の不祥事に巻き込まれ、同校を中退した。しかし、野球への思いを断ち切れず、独立リーグ・四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに2008年入団。 愛媛マンダリンパイレーツ入団後は、1年目から公式戦に出場する。今治精華高等学校通信制課程松山校に通いながら19試合64.1回をこなし、4勝3敗、防御率3.36の成績を残した。
鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、… 鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2002年の第84回全国高等学校野球選手権大会で、浦和学院高校の須永英輝と投げ合った。終盤で浦和学院に逆転されたがその後再逆転し、サヨナラ勝ちを収めている。また、この試合で鎌倉は左翼へ本塁打を放っている。この大会では鎌倉を擁した川之江高校は、仙台西、浦和学院、桐光学園、遊学館を破って同校初の4強進出を果たすが、優勝した同じ四国勢の明徳義塾高校に準決勝で敗れた。(同大会では8強に四国4県が全て残り、四国勢の強さを印象付けた。)また、同年の国体では、川之江高校は初優勝を果たした。
鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、… 鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手。 土居高校では、1957年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが北宇和高に敗退。 1958年、グラウンドに土を運ぶ作業中に土砂崩れで左骨盤を骨折し、卒業後に約束されていた伊予銀行への入社を断念する。卒業後は大毎オリオンズの入団テストを受けるも不合格。 1959年に東京鉄道管理局へ入社。 1961年の産業対抗では全国鉄のエースとして活躍、準々決勝に進むが熊谷組に惜敗。同大会の優秀選手に選出される。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目から41試合に登板し、中継ぎ、抑えとして活躍する。 1966年はリーグ最多の62試合に登板し、初の規定投球回(リーグ7位、防御率2.33)にも達する。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。