香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月2… 香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月21日(天保13年6月14日)- 1894年(明治27年)5月18日)は、幕末の医師、明治期の政治家、教育者。衆議院議員。玄洋社社員。幼名・恕吉郎、字・子貫。号・晦処、晦洞。 筑前国夜須郡下浦村(現福岡県朝倉市下浦)で、医師・香月春庵の長男として生まれる。佐野東庵(甘木高原町)の私塾梅西舎で漢籍を、医師・深水玄門(熊本)に漢方内科医術を、玉井養純(筑後国生葉郡)に漢学・医術をそれぞれ師事した。文久2年(1862年)父の死去により家督を相続し医業を開業し、幕末には国事に奔走した。 明治2年3月13日(1869年4月24日)秋月藩に同藩の情報を久留米藩に提供したとして捕らえられたが、同月17日に釈放された。
