一木 隆冶(いちき りゅうや 、1993年11月13日 - … 一木 隆冶(いちき りゅうや 、1993年11月13日 - )は、佐賀県唐津市出身で、玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長171.0cm、体重120.4kg、血液型はA型。最高位は西幕下6枚目(2020年9月場所・11月場所)。 唐津市立田野小学校2年次に、地元の肥前相撲クラブで相撲を始めた。唐津市立肥前中学校3年次には全国中学校相撲選手権大会と全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場した。希望が丘高校を経て九州情報大学に進学し、大学1年次に全国学生相撲個人体重別選手権大会85kg未満級で3位入賞、4年次に全国学生相撲選手権大会で団体戦ベスト8、個人戦ベスト32の経験を持つ。 大学卒業後は、東龍ら九州情報大学出身者も所属する玉ノ井部屋に入門し、2016年1月場所で初土俵を踏んだ。
唐津海 誠二(からつうみ せいじ、1988年8月3日 - )… 唐津海 誠二(からつうみ せいじ、1988年8月3日 - )は、佐賀県唐津市西唐津出身で玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐々木 誠二(ささき せいじ)。身長182cm、体重189kg、血液型はO型。最高位は西幕下12枚目(2011年11月場所)。 地元の中学校を卒業して2004年3月場所に玉ノ井部屋(関脇・栃東)から初土俵。初土俵時から四股名は出身地の名前に因んだ「唐津海」を名乗っている。同期生には豊真将、木村山、磋牙司、里山、白乃波、益荒海、大岩戸、出羽鳳らがいる。 入門時の体重は137kgであり、体重の増加とともに番付が上がる傾向にある。初土俵から4年後の2008年5月場所で幕下に初昇格しているが、心臓の不整脈治療のため2009年5月場所から3場所連続全休をすると、復帰した同年11月場所は序二段の下位。
荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - … 荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kg。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。 日本相撲協会から離れ、その後、故郷に程近い長崎県で造船業に従事していた。造船会社を辞めてからは福岡市に移り住み、相撲料理店「ちゃんこ荒波」を経営したが、2004年頃に閉店したという。
松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - … 松浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - 1945年3月10日頃)は、佐賀県東松浦郡名古屋村馬渡島(現・唐津市鎮西町馬渡島)出身の大相撲力士。本名は牧山 強臣(まきやま つよみ)。 1930年1月場所に錦島部屋から初土俵を踏む。四股名は出身地の松浦潟(唐津湾)に由来する。1938年1月からは「大蛇潟(おろちがた)」の四股名で新入幕を果たすが、負け越して1場所で十両陥落となる。このままでは伸び悩むと判断したことから、四股名を「枩浦潟」に戻し、1940年1月場所で再入幕。このとき、独立した能代潟錦作と共に立田山部屋へ移籍した。 折しも時代は太平洋戦争へと突入し、若手の力士たちも次々に戦場へ召集されていったが、枩浦潟は大相撲に必要不可欠な存在として兵役を免除され、戦時中にあっても現役の力士として活躍を続けた。
平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 -… 平戸灘 常吉(ひらとなだ つねきち、1911年2月24日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。山分部屋所属。本名は松本 政雄。最高位は十両6枚目。 佐賀県東松浦郡鎮西町(現唐津市)出身。山分部屋に入門し、1930年10月「白鷺」の四股名で初土俵を踏む。1937年5月十両に昇進。十両の中位から下位にとどまった。1941年5月に「平戸灘」と改名したが、翌1942年1月全休し、そのまま廃業した。