中川 喜次郎(なかがわ きじろう、1907年3月2日 - 1… 中川 喜次郎(なかがわ きじろう、1907年3月2日 - 1982年1月15日)は、鹿児島県出身の実業家。 鹿児島県川辺郡西南方村(現・南さつま市)にて、中川伊勢次郎・イトの次男として生まれる。高等小学校卒業後、1936年に海産物商「中川商店」を設立し、南九州の海産物を満州に卸していき、満州に渡って関東軍の御用商人として財を成す。 1940年に「唐津造船所」を創設。また中川商店の海運部を分立する形で、1944年に大連にて中川海運を設立、終戦直前に帰国し1946年に水産業に進出し中川水産を設立。1948年に照国海運を設立、油送船や鉱石専用船を中心に展開し鹿児島から奄美群島への貨客定期航路などを展開、外航分野への進出で中型タンカー会社として成長を遂げ、最盛期には国内業界9位の中堅級の外航海運会社となっていた。
鳥濱 トメ(とりはま トメ、1902年6月20日 - 199… 鳥濱 トメ(とりはま トメ、1902年6月20日 - 1992年4月22日)は、鹿児島県の食堂経営者。 川辺郡知覧町(現在の南九州市知覧町郡104)で「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見た。 名前の読みは戸籍上「トメ」であるが、相星雅子の聞き取りによるとこの「トメ」を嫌って人には「トミ」と呼ばせており、これが富屋食堂の名前の元になっている。また1945年に富屋食堂を取り上げた新聞記事にも「おとみさん」という名で掲載されている。 1902年(明治35年)、川辺郡西南方村坊下浜(現在の南さつま市坊津町坊)に生まれた。18歳で旧家出身の鳥濱義勇と結婚する。 1929年(昭和4年)にトメが27歳の時に富屋食堂を開業。
鮫島 慶彦(さめしま けいひこ、1865年10月23日(慶応… 鮫島 慶彦(さめしま けいひこ、1865年10月23日(慶応元年9月4日) - 1928年(昭和3年)10月4日)は、日本の政治家、実業家。鹿児島県会議員。衆議院議員(鹿児島県郡部選出、当選1回)。南薩鉄道社長。万瀬水力電気、鹿児島火山灰珪藻土、薩摩製糸、南薩林業各取締役。族籍は鹿児島県士族。 慶応元年、薩摩国加世田生まれ。鹿児島県士族・鮫島郷兵衛の二男。先代次右衛門の養子となり1875年、家督を相続する。 東京の二松学舎で漢学を学ぶ。帰郷後、村議、鹿児島県会議員をへて、立憲政友会県支部長となり、1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で当選し衆議院議員を1期つとめる。 1912年(明治45年)南薩鉄道を創立し、社長をつとめる。
田頭 愼一(たがしら しんいち)は、日本の造船実業家。前畑造… 田頭 愼一(たがしら しんいち)は、日本の造船実業家。前畑造船代表取締役社長、取締役会長を歴任。学校法人長崎総合科学大学の評議員、理事、理事長も務めた。 鹿児島県南さつま市出身。1968年3月、鹿児島県立加世田高等学校卒業。少年時代は模型船造りが趣味だった。1972年3月、長崎造船大学(現:長崎総合科学大学)船舶工学科卒業。 佐世保重工業株式会社(1972年4月入社)、株式会社大島造船(1980年12月入社)を経て、1985年12月に前畑造船鉄工株式会社(後の前畑造船株式会社)へ入社し、設計部長、取締役設計・営業部長、常務取締役、営業部長を歴任。前社長の死去にともない、2008年9月から前畑造船株式会社代表取締役社長を10年間務めた。