糸数 敬作(いとかず けいさく、1984年11月7日 - )… 糸数 敬作(いとかず けいさく、1984年11月7日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロ野球選手(投手)、実業家、野球解説者。右投右打。 中部商業高校3年夏、第84回全国高等学校野球選手権大会にエースとして同校初出場に導くが、初戦で高市俊が投げる帝京高に敗れた。亜細亜大学入学後は、部員の不祥事による出場停止、2部降格を経験する。4年春1部に復帰すると2006年秋季の東都大学野球リーグでは5勝を挙げ、防御率0.76の好成績で優勝の原動力となり、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。続く第37回明治神宮野球大会でも、決勝で早稲田大学の宮本賢に投げ勝つなど、亜大の4年ぶり3度目の優勝に貢献した。
宮島 真一(みやじま しんいち、1973年8月31日 - )… 宮島 真一(みやじま しんいち、1973年8月31日 - )は、沖縄県のローカルタレント、司会者、経営者。 沖縄市出身。沖縄県立北谷高等学校、沖縄国際大学短期大学部英文科を経て、名桜大学国際学部国際文化学科に学ぶ。大学卒業後、ライブハウス経営、会社員、ラジオDJ、映画製作スタッフなどを経て、ローカルタレントとしての活動を始めた。 宮島は、2013年から始まった、沖縄市の観光をPRする深夜のテレビ番組『コザの裏側』(琉球放送)の司会者を、糸数美樹とともに務めている。 2014年には、糸数美樹、岸本セシルとともに、沖縄市のPRを担う「ちゃんぷる~沖縄市大使」に就任し、11月29日にコザ・ミュージックタウンで就任式と記者会見が行なわれた。
羽賀 研二(はが けんじ、1961年7月21日 - )は、日… 羽賀 研二(はが けんじ、1961年7月21日 - )は、日本のタレント、俳優、声優、実業家。本名、當眞 美喜男(とうま みきお。「当真」もしくは「當真」とも表記される)。旧芸名は羽賀 健二。沖縄県沖縄市出身、同県中頭郡北谷町在住。 身長は183センチメートル。体重は68キログラム。血液型はB型。劇男零心会を経て東京シックスプロダクション(フロム・ファーストプロダクショングループ)に所属していた。 沖縄県コザ市(後の沖縄市)ゲート通りでアメリカ人と日本人の間に生まれる。幼少時代の生活は貧困を極め、電気店の納屋を住まいにしていた。そのため早くから新聞配達をして家計を助ける。 小学校時代は母子家庭や貧困生活、ハーフであるために彫りの深い顔立ちや赤毛などを理由に執拗ないじめに遭い、中学時代も同様の理由で喧嘩を吹っかけられる毎日を送った。
嵩元 盛兼(たけもと せいけん、 (1955-04-25) … 嵩元 盛兼(たけもと せいけん、 (1955-04-25) 1955年4月25日(71歳) - )は、日本の実業家、教育行政関係者。元沖縄セルラー電話常務取締役、元浦添市教育長。 沖縄県沖縄市出身。沖縄県立コザ高等学校を経て、国費沖縄学生制度により金沢大学へ進学した。 1981年、琉球石油株式会社(現・りゅうせき)に入社した。その後、参議院議員・稲嶺一郎の秘書を務めた。 1991年、沖縄セルラー電話営業部長に就任し、1994年に同社取締役営業部長に就任した。以後、取締役管理部長、取締役法人営業部長、取締役役員室長などを歴任した。2007年に常務取締役内部統制・リスク管理部門担当兼役員室長、2009年に常務取締役リスク管理部門担当兼渉外・広報部長となり、2010年6月に常勤監査役に就任した。
石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年… 石原 昌淳 (いしはら しょうじゅん、1900年(明治33年)2月5日 - 1995年(平成7年)10月16日)は、沖縄県の政治家、実業家。 戦前は旧美里村議会議員、美里村助役、沖縄県会議員を、戦後のアメリカ施政権下では沖縄民政(沖縄民政府)議会議員、群島議会議員、琉球政府立法院議員、同中央教育委員会委員長、琉球工業連合会副会長、沖縄製塩社長などを務めた。勲五等瑞宝章受章。 1900年(明治33年)、現在の沖縄県沖縄市泡瀬地区にて生まれる。 大正の末期から昭和10年頃にかけての沖縄の政治界は、本土の二大政党であった民政党と政友会との対立に巻き込まれて、激しい勢力争いが続いていた。沖縄県選出の国会議員や県会議員のほとんどもこの二大政党のいずれかに属し、選挙の際には自派の議員の選出に懸命であった。