滝浦真人(たきうら まさと、1962年 - )は、日本の言語… 滝浦真人(たきうら まさと、1962年 - )は、日本の言語学者。放送大学教授。言語と対人関係、とくに敬語・ポライトネスについて研究。 岩手県生まれ。仙台第二高等学校卒、1985年東京大学文学部言語学科卒業、92年同大学院人文科学研究科言語学専攻博士課程中退。河合塾の英語講師を経て共立女子短期大学専任講師、2000年助教授、2003年麗澤大学外国語学部助教授、07年教授、2013年放送大学教授。2018年日本語用論学会副会長。2020年日本語用論学会会長。 7歳だったころ、1968年10月に東北線が全線電化されるのに伴い国鉄C60形蒸気機関車が引退することを知り、車両を保存する要望を国鉄東北支社に手紙を送ったところ、1両が西公園に保存されることが決まった。
松木 正恵(まつき まさえ、1959年 - )は、日本の日本… 松木 正恵(まつき まさえ、1959年 - )は、日本の日本語学者。早稲田大学教育学部国語国文学科教授。 宮城県仙台市生まれ。長崎県立佐世保南高等学校卒業後は、もともと法学部志望だったが父の希望で国語科専攻に進学し、1982年東京学芸大学教育学部中等教育教員養成課程国語科卒業、東京都立南葛飾高等学校定時制教諭。1987年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了、文学修士。同年青森明の星短期大学専任講師。 1989年早稲田大学日本語研究教育センター助手、早稲田大学教育総合研究所兼任研究員。1993年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学、早稲田大学教育学部助手。1994年同専任講師。
菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 20… 菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 2019年2月8日)は、日本の文学者、言語学者。大阪外国語大学名誉教授。北欧語・北欧文学の、日本では有数の専門家である。
小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年〈明治15年〉6月4… 小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年〈明治15年〉6月4日 - 1944年〈昭和19年〉2月8日)は、日本の言語学者。朝鮮語研究、日本語研究。日本語研究にも多くの業績があるが、特に朝鮮語研究においてその後の研究の礎を築いた。 1882年、宮城県仙台市生まれ。父は実業家・歌人の小倉茗園。1903年、東京帝国大学に入学し言語学を専攻、卒業論文は「平安朝の音韻」。その後上田萬年の下で国語学研究室助手。1911年朝鮮総督府勤務。1924~1926年にはヨーロッパおよびアメリカに留学。1926年、京城帝国大学教授。1933~1943年、東京帝国大学言語学科主任教授。 主要な業績として1920年『朝鮮語学史』(刀江書院)がある。
中目 覚(なかのめ あきら、1874年5月23日 - 195… 中目 覚(なかのめ あきら、1874年5月23日 - 1959年3月27日)は、宮城県仙台市出身の地理学者、言語学者、教育行政官、エスペランティスト。 1874年、仙台藩一家 十七家の一つ中目氏の一族として宮城県仙台市に生まれる。9歳で宮城師範学校付属小学校に入学し、14歳で退学、宮城県尋常中学校に入学する。翌年同校を退学し、第二高等中学校に入学する。23歳で同校を卒業し、帝国大学文科大学独逸文学科に入学する。 1899年(明治32年)、東京帝国大学を首席卒業。恩賜の銀時計を授与。第四高等学校(後の金沢大学)でドイツ語教授をしていたが、1903年(明治36年)、30歳の時に創立された広島高等師範学校(後の広島大学)でドイツ語と地理学を三ヶ月ほど教えたのち、3年間オーストリア・ハンガリーへの留学を文部省から命じられる。