須田都古(すだ みやこ、1978年3月7日 - )は、千葉県… 須田都古(すだ みやこ、1978年3月7日 - )は、千葉県市川市出身のバスケットボール選手である。元JOMOサンフラワーズ所属。学位は学士(愛知学泉大学・2000年)。 ニックネームは「キラ」。ポジションはガード。 小学生の時、女子サッカーでスポーツに目覚める。男子顔負けのプレーで頭角を表すが、バスケットボールの魅力が勝り転向。 市川市立鶴指小→昭和学院中→昭和学院高→愛知学泉大学、各世代にて数々の全国タイトルを獲得。大学2年の時、第11回ミスカレッジを受賞。各世代の日本代表でも活躍した。 愛知学泉大学卒業後、JOMOサンフラワーズに入団。 2002年現役引退。経験・実績、教職を生かし母校である昭和学院高で後輩の指導にあたった。
羽賀 篤史(はが あつし、1971年4月16日 - )は、千… 羽賀 篤史(はが あつし、1971年4月16日 - )は、千葉県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。背番号は23。 鎌ヶ谷高から拓殖大学を経て、1994年に住友金属に入社。 翌年のユニバーシアードで日本代表に選ばれ銀メダルを獲得。 1998年のバスケ部休部を機に引退。
脇 将典(わき まさのり、1970年4月27日 - )は、千… 脇 将典(わき まさのり、1970年4月27日 - )は、千葉県出身の元バスケットボール選手である。現役時代のポジションはフォワード。 北陸高校から専修大学を経て、トヨタ自動車に入社。 1995年には福岡ユニバーシアードの準優勝メンバーとして名を連ねる。 熊本県スポーツ振興事業団職員に転じ、国体にも出場した。 娘の脇梨奈乃、息子の脇真大もバスケットボール選手。
村松 麻理子(むらまつ まりこ、1969年8月7日 - )は… 村松 麻理子(むらまつ まりこ、1969年8月7日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。東京都出身。昭和学院高等学校卒業。現役時代はシャンソン化粧品に所属していた。 全日本として1990年女子世界選手権に出場した。
宮田 幸典(みやた ゆきのり、1968年8月20日 - )は… 宮田 幸典(みやた ゆきのり、1968年8月20日 - )は、千葉県出身のバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。 柏市立柏高等学校から筑波大学を経て、三井生命に入社。 1994年には広島アジア大会に出場する日本代表に選出される。 1999年の休部後は引退し、社業に専念していたが、2002年にクラブチーム「neoうめや」が発足されると、初代メンバーに加わった。
外山 英明(とやま ひであき、1967年3月13日 - )は… 外山 英明(とやま ひであき、1967年3月13日 - )は、東京都生まれ千葉県出身の元プロバスケットボール選手、指導者である。身長197cm、体重85kg。 千葉敬愛高校在籍時はインターハイ・国体に、青山学院大学在籍時はユニバーシアードに出場。大学卒業後は熊谷組に入社し、新人王を獲得するなど活躍。全日本にも選ばれ、アジア選手権などにも出場した。 熊谷組バスケ部休部後は大和証券(現・新潟アルビレックスBB)に移籍。1997年にはプロ契約を結び、長谷川誠(当時ゼクセル)とともに日本人プロ第1号となった。夏にはアメリカに渡りサマーリーグにも参加していた。 1999年に大和証券を解雇された後、神戸のクラブを経て2000年に鈴木貴美一ヘッドコーチの誘いを受けアイシンシーホースに移籍しタイトルに貢献した。
橋本 きみ子(はしもと きみこ、1953年2月17日 - )… 橋本 きみ子(はしもと きみこ、1953年2月17日 - )は、千葉県千葉市出身の元女子バスケットボール選手である。現姓・長井。ポジションはガード・フォワード。コートネームは「ボク」。 千葉市立新宿中学校3年で県大会3位の成績を残し、千葉商業では同好会を部に昇格させ、3年でインターハイ出場を果たした。 卒業後、第一勧業銀行に入社。日本リーグ(現Wリーグ)では第8回から3年連続でベスト5に選ばれ、主将も務めた。 全日本の一員として1974年アジア大会金メダル、1975年世界選手権準優勝メンバーとなった。翌年のモントリオール五輪でもメンバーに選ばれたが、膝の故障のため5試合で出場29分に留まった。 1977年の引退後はNHK解説者を務める。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。