野木 丈司(のぎ じょうじ、1960年4月30日 - )は、… 野木 丈司(のぎ じょうじ、1960年4月30日 - )は、日本の元プロボクサー、トレーナー。千葉県出身。 ボクサーを目指すも、持ち前の足の速さから、船橋市立高根中学校では陸上部で活躍。千葉県立佐倉高等学校陸上部監督であった小出義雄から、直々にスカウトされ、1976年4月に同校入学。小出の直接指導を受け、県大会5000mで優勝、さらに県高校駅伝では1区(10km)で区間新をマークし、初優勝に貢献。佐倉高校を第29回全国高等学校駅伝競走大会(1978年)出場に導く。 卒業後、当時の早稲田大学競走部監督であった中村清から誘いを受けるが、ボクサーの夢を捨て切れず小出の紹介でミカドジムに入門。プロボクサーとなり3戦3勝(1KO)をマークしたが、ジムが協栄ジムに吸収合併されることになり、その際起きたトラブルにより、当時の協栄会長金平正紀の圧力を受けた結果10年間1試合の出場も許されずに延々と干され続け、1991年に引退した。
コング斉藤(コング さいとう、本名:斉藤 明(さいとう あき… コング斉藤(コング さいとう、本名:斉藤 明(さいとう あきら)、1954年12月3日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県柏市出身。ヘビー級ボクサーとして米国を拠点に活動し、日本ではリキジムに所属した。 学生時代はバレーボールの選手だった。 米国に渡り溝口宗男(マック溝口)の下でトレーニングを重ね、1975年4月10日、ハワイでデビューするが2戦連続KO負け。 1977年4月19日、3戦目を1RKOで初勝利。以降KOを重ねる。 ヘビー級ボクサーとしてオクラホマシティを拠点に5戦連続KO勝利を上げると、朝日新聞、読売新聞は特派員を送り、一部には「(モハメド・)アリ、斉藤と防衛戦へ 来年3月」と報じられるなど日本でも話題となった。
バトルホーク 風間(バトルホーク かざま、1950年1月2日… バトルホーク 風間(バトルホーク かざま、1950年1月2日 - 2004年10月3日)は、日本の元プロボクサー。本名は風間 清(かざま きよし)。第26代日本ライト級王者。有限会社パオネットワーク元代表。東京都生まれ、千葉県習志野市出身。石丸ボクシングジム所属選手としてプロデビュー、後に奈良池田ジム所属。上野高等学校定時制、専修大学卒業。 アマチュアで活躍していた兄・良一にボクシングを学び、高校1年在学中に国体出場。 1968年、高校3年時にインターハイライト級優勝を収めた。複数のボクシング強豪校から勧誘があったが専修大学に進学、強豪校への発展に寄与した。ミュンヘンオリンピックの代表候補強化合宿にも参加した。
高山 勝義(たかやま かつよし、1944年1月6日 - )は… 高山 勝義(たかやま かつよし、1944年1月6日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県館山市出身。現役時代は木村ジム(現・新日本木村ボクシングジム)所属。左ストレートが武器のサウスポーでアグレッシブなインファイトを得意とした。 1962年3月22日、プロデビューでは判定負けを喫し、2戦目は引き分けた。しかし、その後は連勝を重ね、1963年1月28日、初回KO勝利で第9回全日本フライ級新人王を獲得。8月22日、現役の日本フライ級王者斎藤清作(たこ八郎)にノンタイトル戦ながら10回判定勝ち。1963年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会では新鋭賞に選出された。 1965年10月7日、WBA・WBC世界フライ級王者サルバトーレ・ブルニ(イタリア)とのノンタイトル10回戦では右フック、ジャブが好調で、3Rには左ストレートの追撃でダウンを奪ってペースを譲らず、判定勝利を収めた。
桜井 孝雄(さくらい たかお、男性、1941年9月25日 -… 桜井 孝雄(さくらい たかお、男性、1941年9月25日 - 2012年1月10日)は、日本の元アマチュアボクシング選手・プロボクサー。千葉県佐原市(現・香取市)出身。中央大学卒業。1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリスト。OBF東洋バンタム級王者。 天性の勘と磨かれた技術、優れたフットワークを持ち、金メダリストとして鳴り物入りでプロ入りしたものの、ボクシングに対しクール過ぎる性格が災いし「安全運転」と称された消極的ボクシングを展開。当時のプロのバンタム級はファイティング原田やルーベン・オリバレスらが王座を保持して世界の壁が厚く、これを突破することはできなかった。しかし、2012年に村田諒太がロンドン・オリンピックのミドル級で金メダルを獲得するまでの48年間、アマチュアボクシングでは五輪のみならず世界選手権を合わせても唯一の日本の金メダリストであり、アマチュアボクシング界に残した功績は大きかった。
小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 20… 小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 2019年4月3日)は、日本の元プロボクサー。千葉県君津郡富津町(現・富津市)出身。元日本ライト級、OBF東洋ライト級王者。現役時代は帝拳ボクシングジム所属。 16歳の頃、帝拳名誉師範荻野貞行の葉山の自宅へクリーニング店の配達に出向いていたところ、その筋力と面構えが荻野の目に留まり、帝拳に紹介されて心技両面から指導を受けるようになった。 カウンターパンチャーが多い中、強烈な左右フックを武器にフルラウンドにわたって打ち続けることのできるファイターだった。 1957年3月30日、プロデビュー戦では4R判定勝利を収めた。同年12月15日、第14回東日本フェザー級新人王トーナメント決勝戦で6R判定負けを喫した。