松永 和紀(まつなが わき、1963年 - )は、日本の科学… 松永 和紀(まつなが わき、1963年 - )は、日本の科学ジャーナリスト、食の安全や農業、環境問題などのテーマを主に執筆している。2021年より内閣府食品安全委員会委員で、リスク・コミュニケーションを担当。 京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻で修士を修めた後、毎日新聞社の記者を経てフリーランスの科学ライターとなる。官公庁の薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会、内閣府消費者委員会 食品表示部会などの委員を務める。2011年に消費者団体フードコミュニケーションコンパス(FOOCOM)を立ち上げ、2016年まで初代代表を務めた。 著書『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書)で科学ジャーナリスト賞受賞。
高木 美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 - )は、日… 高木 美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 - )は、日本の女優、コメンテーター、エッセイスト、農業従事者、タレント。東京都葛飾区出身、千葉県松戸市育ち。和洋女子大学中退。 1983年、新聞で芸能事務所の募集広告を見て、“成人式の写真が綺麗だった(綺麗に撮れた)から”と面白半分で送ったところ審査を通過。芸能界入りすることになる。 1984年、『Wの悲劇』でスクリーン・デビュー。オーディションの条件にあった年齢制限より1 - 2歳ほど上だったため書類選考で篩い落とされたが、添付された写真をたまたま見た監督の澤井信一郎が気の強そうな表情を気に入り、実際に会ってみると口跡(声色・言い回し)が良いので出演が決まった。
三好 礼子 (みよし れいこ、1957年12月15日 - )… 三好 礼子 (みよし れいこ、1957年12月15日 - )は、日本のエッセイスト、農民、ラリースト。「ペレファ農場」代表。本名:上土井 礼子。 2010年までは山村 レイコ、山村 礼子名義も使用していた。 「自然回帰型生活びと」を自称しており、主義はベジタリアン("健康で生き生きとして力強い人"~ラテン語の語源より)で、2017年からはより完璧なヴィーガンを目指している。また自然治癒も主義としている。 角川文庫『彼のオートバイ 彼女の島』『幸せは白いTシャツ』『メイン・テーマ』(いずれも片岡義男著)他カバーフォト
長谷 成人(はせ しげと、1957年9月24日 - )は農林… 長谷 成人(はせ しげと、1957年9月24日 - )は農林水産技官。水産庁次長等を経て、水産庁長官を務めた。 東京都調布市出身。1976年東京都立武蔵高等学校卒業。サッカー部出身。親戚の家があった五島列島福江島を、高校1年の夏休みに訪れたのをきっかけにジャック=イヴ・クストーに憧れて、大学では水産学や生態学を専攻。妻は高校のサッカー部マネージャーだった同級生で、2男1女、孫8人。趣味は調布の味の素スタジアムでのFC東京戦の観戦。1982年には都武蔵サッカー部OBチームとして武蔵倶楽部(調布市社会人サッカーリーグ)を設立。 1981年に北海道大学水産学部水産増殖学科を卒業後、農林水産省に入省し水産庁で主に漁業調整や資源管理を担当した。
西郷 正道(さいごう まさみち、1953年 - 2024年5… 西郷 正道(さいごう まさみち、1953年 - 2024年5月27日)は、日本の農林水産技官・外交官。明治の元帥西郷従道の曾孫で、農林水産省技術総括審議官、同省顧問等を経て、駐ネパール特命全権大使。退官後、公益財団法人大日本農会副会長。 東京都出身。西郷隆盛の弟で元帥海軍大将の西郷従道は曽祖父。女優の西郷真悠子は娘。1975年東京都立戸山高等学校卒業。1979年筑波大学第二学群生物学類卒業。 ゾウリムシ研究者を志したが大学院入試に2回不合格となり、1980年農林水産省に技術系(農芸化学)として入省。東京肥飼料検査所管理課に配属される。1988年から1991年まで外務省在インド日本国大使館に出向。
朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉… 朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉 - 1916年〈大正5年〉4月22日)は、日本の農民、米屋、精米業、水車業、地主、政治家。 武蔵国出身。金蔵の長男。朝倉家は江戸時代から米を作る傍ら、三田用水の水車を利用して米の賃搗きを行っていたが、明治のはじめに徳次郎は百姓が嫌になり「暁天に野菜を洗って出荷して5銭にしかならぬ」と言って精米業に転じた。 1869年、朝倉米店開業。米の賃搗きで得た現金により農民が安く手放した土地を次々と買い取った。 質朴勤勉な富民として平和な生活をなし、名望のため渋谷村会議員をつとめた。また徳次郎以来、代々朝倉家が渋谷の氷川神社の大総代をつとめた。 住所は東京府豊多摩郡渋谷村大字下渋谷(のち渋谷町、現・東京都渋谷区)。
小谷田 勝五郎(こやた かつごろう、文化12年10月10日〈… 小谷田 勝五郎(こやた かつごろう、文化12年10月10日〈1815年11月10日〉- 明治2年12月4日〈1870年1月5日〉)は、幕末、明治時代の農家。平田篤胤の著書『勝五郎再生記聞』の題材となった人物として知られる。 人が生まれ変わるという伝承は世界各地にあるが、小谷田勝五郎の話は、当事者が実在し、生没年や住んでいた場所、墓所などを明確に確認できるという点で、他の生まれ変わり伝承とは一線を画する。 武蔵国多摩郡中野村(現在の東京都八王子市東中野)の農家、小谷田源蔵の息子として生まれる。 1822年(文政5年)のある夜、突然家族に「自分はもとは程久保村(現・日野市程久保)の須崎藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と言い、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを語った。