周藤 芳幸(すとう よしゆき、1962年3月 - )は、日本… 周藤 芳幸(すとう よしゆき、1962年3月 - )は、日本の考古学・歴史学者、名古屋大学教授。専門はギリシア考古学、東地中海文化交流史。 神奈川県横須賀市出身。神奈川県立横須賀高等学校卒、1984年東京大学文学部考古学専修卒、1992年同大学院博士課程中退。1987年から1991年までギリシア政府給費留学生としてアテネに留学。名古屋大学文学部助教授、1993年「ミケーネ社会における集落組織の研究 遺跡の空間分析から」で、文学博士(東京大学)。2005年名古屋大学文学研究科教授。日本西洋古典学会委員。 エーゲ海先史文化の考古学的研究を出発点として、現在は古代ギリシア史の諸問題に取り組む。1997年からは、中エジプトのアコリス遺跡から出土するギリシア系の遺物やギリシア語碑文などの調査を常時行っている。
小林 謙一(こばやし けんいち、1960年2月 - )は、日… 小林 謙一(こばやし けんいち、1960年2月 - )は、日本の考古学者。中央大学文学部教授。 神奈川県横浜市戸塚区出身。 1978年神奈川県立光陵高等学校卒業。1983年慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻卒業。1987年同大学院文学研究科修士課程修了。2004年総合研究大学院大学大学院文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。 慶大埋蔵文化財調査室助手、金沢大学埋蔵文化財調査センター助手、国立歴史民俗博物館助教を経て、2008年中央大学文学部准教授、2013年教授。
山田 昌久(やまだ まさひさ、1953年7月 - )は、日本… 山田 昌久(やまだ まさひさ、1953年7月 - )は、日本の考古学者。専門は、木質・植物質資料を中心とした考古学・生活技術史、実験考古学など。東京都立大学名誉教授。神奈川大学非常勤講師。 神奈川県横須賀市生まれ。1977年、明治大学文学部史学地理学科卒業。1980年、明治大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了。1988年筑波大学助手、1995年東京都立大学 (1949-2011)助教授を経て、東京都の大学再編により、2004年首都大学東京都市教養学部歴史学・考古学研究室准教授となる。2007年同教授、2019年同大学を退職、同大学プレミアムカレッジ特任教授。東京都立大学大学院人文科学研究科客員教授を経て、東京都立大学名誉教授。
上原 真人(うえはら まひと、1949年 - )は、日本の考… 上原 真人(うえはら まひと、1949年 - )は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。辰馬考古資料館館長。 1949年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。1973年、京都大学文学部考古学科卒業。1979年に同大学院文学研究科博士課程を満期退学する。 卒業後は奈良国立文化財研究所研究員(文部技官)となり、1996年より京都大学大学院文学研究科教授。2015年に定年退職し、京都大学名誉教授となった。退任後は、辰馬考古資料館館長、黒川古文化研究所所長を務める。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大三輪 龍彦(おおみわ たつひこ、1942年 - 2006年… 大三輪 龍彦(おおみわ たつひこ、1942年 - 2006年6月27日)は、日本の考古学者。元鶴見大学教授。浄光明寺住職。
岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997… 岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997年11月16日)は、日本の考古学者。 神奈川県横須賀市生まれ。1952年明治大学文学部史学地理学科卒業、1954年明治大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。1964年立教大学専任講師、1966年助教授、1974年辞職。横浜市立大学、立教大学などで講師を務めた。 1953年から1954年にかけて、八ヶ岳南麓長野県南佐久郡南牧村の矢出川遺跡の発掘調査で日本最初の細石刃を芹沢長介、地元の考古学研究家由井茂也らと共に発見した。 1960年代、横浜市北部埋蔵文化財調査委員会に参加し、開発に呑み込まれる横浜市北部の遺跡(青葉区内の朝光寺原遺跡や稲荷前古墳群など)を数多く発掘調査し保存活動に尽力した。
尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月3… 尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月30日 - 昭和53年〈1978年〉1月4日)は、日本の歴史学者・考古学者。主に群馬県で古墳の調査を行い、群馬県の考古学の礎を築いた。文学博士、群馬大学名誉教授。 1904年(明治37年)、神奈川県足柄上郡川村(現・山北町)に生まれる。1923年(大正12年)神奈川県立第一横浜中学校(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)を卒業。1926年(大正15年)日本メソヂスト静岡教会で受洗。同年静岡高等学校卒業後、東北帝国大学法文学部に入学するも中退。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部を卒業(法学士)。1932年(昭和7年)近衛砲兵大隊に入隊し工兵科幹部候補生となるが同年除隊し予備役となる。
赤星 直忠(あかほし なおただ、1902年4月17日 - 1… 赤星 直忠(あかほし なおただ、1902年4月17日 - 1991年3月11日)は、大正・昭和期の考古学者、歴史学者、民俗学者、郷土史研究者。教員等の職業に就き、研究機関等に所属することはなかったが、生涯で500本近い論文を発表して横須賀考古学会を設立するなど、主に神奈川県下で活躍し、三浦半島の考古学研究の基礎を築いた。研究内容は、縄文時代早期の関東地方の土器型式の分類、弥生時代から古墳時代の海蝕洞窟遺跡や横穴墓、古代・中世の寺院ややぐら、城郭など多岐に及んだ。 神奈川県三浦郡横須賀町(現・横須賀市)に生まれる。神奈川県立横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)の生徒であった時、学校の敷地内で古い時代の寺院の遺物が発見されたのを契機として、考古学に興味を持ち始めた。