長井 龍雪(ながい たつゆき、1976年1月24日 - )は… 長井 龍雪(ながい たつゆき、1976年1月24日 - )は、日本のアニメーション監督・演出家。本名は長井 龍幸(読みは同じ)。 新潟県新津市(現・新潟市秋葉区)に生まれる。新潟県立新津南高等学校を経て、[要出典]新潟デザイン専門学校広報プランニング科を卒業した。 小学生の頃は地元テレビ局の再放送などで日本サンライズのテレビアニメに接してロボットアニメに憧れ、『機動警察パトレイバー』のゆうきまさみが気に入って『究極超人あ〜る』に出てくる「オタク系」部活にも惹かれたが、中学から高校にかけてはアニメから遠ざかっていた。 専門学校に入った頃に押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開された際に改めて「アニメ、かっこいいな」と思ったものの、アニメで食えるとは考えなかったという。
小林 浩康(こばやし ひろやす、1972年 - )は、日本の… 小林 浩康(こばやし ひろやす、1972年 - )は、日本のアニメ監督、CGI監督、デザイナー、実業家。株式会社カラー取締役。新潟県柏崎市出身。武蔵野美術大学大学院造形研究科日本画コース修了。 マットペインターとして映画の世界に入り、CGアーティストを経てスタジオカラー参加。 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』よりCGI監督、デザインワークス等を務める。 2017年7月、カラー・麻生塾・ドワンゴの3社で福岡に設立した、3DCGアニメスタジオ「プロジェクトスタジオQ」の取締役に就任。 2018年12月、ドワンゴ・KADOKAWA・カラー・インクストゥエンター・アソビシステムの5社で設立したバーチャルアニメ&キャラクタースタジオ「リド」の取締役に就任。
鶴巻 和哉(つるまき かずや、1966年2月2日 - )は、… 鶴巻 和哉(つるまき かずや、1966年2月2日 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター。新潟県五泉市出身。株式会社カラー取締役。 監督作に『フリクリ』『トップをねらえ2!』『龍の歯医者』などがある。また庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』で副監督を務め、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』でも監督として総監督の庵野を補佐した。 幼少期から漫画やアニメを愛好していたが、新潟の田舎だったため同級生が少なく、アニメのマニアックな部分を共有できる友人がいなかった。 高校生になって、初めて自分よりも知識のあるオタク友達に出会ったことでアニメにのめり込み、絵を描く仕事に就くことを考えるようになる。 そして、完全歩合制のアニメーターなら1円も稼げないということはないだろうと思い、親には黙ったまま東京のアニメ専門学校に行くことを決め、自活のために新聞奨学生に応募する手配まで済ませてしまった。
近藤 信宏(こんどう のぶひろ、1964年7月18日 - )… 近藤 信宏(こんどう のぶひろ、1964年7月18日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。株式会社ブリッジ取締役。東京都生まれ、新潟県長岡市育ち。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
後藤 真砂子(ごとう まさこ、1957年12月24日 - )… 後藤 真砂子(ごとう まさこ、1957年12月24日 - )は、日本のアニメーター。新潟県出身。夫はアニメーション監督の望月智充。 1973年、新潟県立新潟中央高等学校に入学。 1977年、シンエイ動画に入社。 1978年、亜細亜堂の設立に参加して移籍。 1988年、望月智充と結婚。
青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、… 青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、フリーの男性アニメーター、キャラクターデザイナー。新潟県上越市出身。 1話や1作品の原画を1人で担当する「一人原画」が多いことで知られている。 小さい頃は病弱で『鉄腕アトム』や『8マン』などを漫画の絵を模写していた。漫画は読んでいたもの熱心なマニアではなく、漫画家志望でもなかった。工業高校卒業後は上京し、東洋美術学校でグラフィックデザインを学んだ。学校へ行かなくなりアルバイトをしていた頃に絵を描く仕事をしたいと思い立ち、友人から下請け作画スタジオのスタジオルックを紹介されて業界に入りし、東洋美術学校は中退した。『ポールのミラクル大作戦』の動画を引き受け、1年近く経って24歳頃に原画の担当となった。
近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1… 近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。スタジオジブリ所属。新潟県五泉市出身。妻はアニメーション色彩設計者の近藤浩子(旧名:山浦浩子)。1子あり。 高畑勲、宮崎駿両監督作品を1970年代から晩年までアニメーターとして支え続けた。 1995年の映画『耳をすませば』で初めて劇場用長編アニメーションの監督を務め、次代の日本のアニメーション、またスタジオジブリを担う作家として、演出面でも将来を嘱望されていたが、47歳で急死した。 メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢、人々を見つめる温かな眼差しは、今なお後進のアニメーターに影響を与え続けている。
村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよ… 村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよてる)、1939年4月5日 - 2006年11月7日)は、日本のアニメーター。有限会社オープロダクション代表取締役。新潟県柏崎市出身。 1970年5月、塩山紀生、小松原一男、米川功真と共にOH!プロダクション(以下、OH!プロ)を設立する。OH!プロでは、東映動画班と東京ムービーの子会社であったAプロダクション班(現在のシンエイ動画の前身)に分かれて二社の作品を製作していたが、村田はAプロ班の中心アニメーターとして、原画、作画監督などを務め、多くの作品に取り組んだ。また、OH!プロ代表取締役として同社の経営に当たった。 村田はAプロ班のアニメーターとして同社の作品にかかわる中で、高畑勲、宮崎駿らと深い関係を築き、二人の作るアニメ映画やテレビアニメに参加し、作画監督として活躍した。
蕗谷 虹児(ふきや こうじ、蕗谷 虹兒、1898年〈明治31… 蕗谷 虹児(ふきや こうじ、蕗谷 虹兒、1898年〈明治31年〉12月2日 - 1979年〈昭和54年〉5月6日)は、挿絵画家、詩人、アニメーション監督。 抒情画という言葉の考案者。童謡・抒情歌「花嫁人形」の作詞者。 1898年 (明治31年) 12月2日、新潟県北蒲原郡水原町 (現・阿賀野市) 生まれ。新潟県新発田町 (現・新発田市) 出身。本名は一男といった。 蕗谷の自伝小説「花嫁人形」「乙女妻」によれば、父親・傳松 (でんまつ) は新潟市 (現・新潟市中央区)、新潟島の信濃川河口付近にあった三傳小路に土蔵と屋敷を構えた北前船の廻船問屋「三傳 (さんでん)」当主の次男であったが、当主が廃業し、新発田町にて活版印刷所を開業。
阿部 恒(あべ ひさし)は、日本の男性アニメーター、キャラク… 阿部 恒(あべ ひさし)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督。新潟県加茂市出身。 地元の高校を卒業した後、アニメーターを目指して東京都内の専門学校へ入学する。それから半年後の1982年にスタジオワールドへ入社した後、虫プロダクションや童夢を経てマッドハウスへ入社する。1990年代以降はアニメーターだけでなく演出家としても活動し、1992年にはOVA『魔物ハンター妖子2』で初めて監督を担当する。2011年には、マッドハウスでの上司だった丸山正雄と共にMAPPAへ移籍。2014年まで同社で活動した。 2012年には約20年ぶりの監督作品『古町と団五郎』シリーズを制作しているが、その制作にあたって新潟市の担当者と面談する際には同市職員と友人だったいとこを通じての照会があり、新潟県知事(当時)の泉田裕彦が中学校当時の1年先輩に当たることが判明している。