中村 敏(なかむら さとし、1949年 - )は、日本の牧師… 中村 敏(なかむら さとし、1949年 - )は、日本の牧師、神学校教師。日本伝道福音教団牧師、新潟聖書学院学院長、世界宣教研修センター講師。日本キリスト教史、特に福音派の歴史の研究家である。 1949年、新潟県新発田市で生まれた。新潟県立長岡高等学校、岩手大学、聖書神学舎を卒業し、米国トリニティ神学校を修了(修士〈神学〉)。1989年から2008年まで新潟聖書教会の牧師をつとめ、現在は書籍執筆を中心とした活動を行っている。 中村は、日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会が1874年(明治7年)に福音主義同盟の9か条を採用したことについて取り上げ、日本の福音派の歴史は、中田重治やバークレー・バックストンからではなく、日本のプロテスタントの最初からはじまったと指摘する。
岩村 清四郎(いわむら せいしろう、1889年1月9日 - … 岩村 清四郎(いわむら せいしろう、1889年1月9日 - 1978年4月20日)は日本の牧師、教育者である。めぐみ教会(現大森めぐみ教会)を創設し、めぐみ幼稚園、めぐみ高等女学校を設立した。幼稚園、教会学校の働きを重視した宗教教育、「教育的伝道」に力を入れ、日本の日曜学校(教会学校)教育及びキリスト教幼児教育の草分け的存在となった。牧師、伝道者の木村清松は実兄。神学者で牧師の岩村信二は二男。 1889年(明治22年)に新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)にて父木村定之十、母チウの9人兄弟の末弟として生まれる。家業は糀屋。五泉の小学校と高等小学校を卒業、兄木村清松の招きにより青山学院中学部2年に編入する。
逢坂 信忢(おうさか しんご、1882年〈明治15年〉9月9… 逢坂 信忢(おうさか しんご、1882年〈明治15年〉9月9日 - 1981年〈昭和56年〉1月7日)は、日本の牧師、伝道者、宗教哲学者、社会運動家、郷土史家、著述家。 新潟県中蒲原郡女池新田(現 新潟市中央区女池)の、女池新田、神道寺新田、および小張ノ木新田の戸長を務めていた名望家・逢坂清治の次男として出生。 1900年(明治33年)3月に新潟県中学校を卒業、1902年(明治35年)7月に札幌農学校予修科を卒業、1908年(明治41年)12月に東北帝国大学農科大学(旧 札幌農学校)農学科(農政学・農業経済学専攻)を卒業。 1915年(大正4年)9月に救世軍に入隊、1916年(大正5年)6月に救世軍士官学校を卒業、中尉に任官、東京銀座小隊長に就任、1917年(大正6年)4月に大尉に任官、1919年(大正8年)春に救世軍を除隊。
白井 慶吉(しらい けいきち、1882年5月15日 - 19… 白井 慶吉(しらい けいきち、1882年5月15日 - 1985年6月2日)は、日本の牧師。日本基督教団第5代議長。クリスチャン政治家加藤勝弥の従兄。加藤俊子の甥にあたる。 廻船問屋白井勝太郎の3男として新潟に生まれる。1892年(明治5年)に両親が長老派の日本基督新潟教会(現・日本基督教団東中通教会)でキリスト教に入信すると、日本基督教会巡回牧師石原保太郎から長老派の幼児洗礼を受ける。 1899年(明治32年)に北越商興会付属新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)を卒業する。1899年の夏に信仰告白をし堅信礼を受け、日本基督新潟教会の日曜学校の教師になり、日曜学校で教える。1906年(明治39年)に上京し、東京神学社本科に入学し、植村正久の薫陶を受ける。
木村 清松(きむら せいまつ、1874年4月7日 - 195… 木村 清松(きむら せいまつ、1874年4月7日 - 1958年1月14日)は、日本の巡回伝道者、牧師。ナイアガラの滝を「自分のお父さんのものだ」と言ったことで話題になった。「キリストに虜われし清松」と呼ばれていた。伝記を書いた岩村清四郎は実弟。 1874年、新潟県五泉町(現:五泉市)に地酒の醸造業者の家に生まれる。1889年、村松高等小学校を卒業する。1890年、北越学館に入学する。1891年1月11日に堀貞一により日本基督教会新潟第一基督教会(現・日本基督教団新潟教会)で洗礼を受ける。1892年、仙台の東北学院に入学する。 1894年6月に渡米する。1895年、アメリカで救世軍に入隊して、士官学校に入隊するが、神学上の問題で8ヶ月で辞める。
青山 準二郎(あおやま じゅんじろう、嘉永6年9月3日〈18… 青山 準二郎(あおやま じゅんじろう、嘉永6年9月3日〈1853年10月5日〉 - 没年不詳)は、明治時代に活躍した長老派系の日本基督教会の牧師。北海道の宣教で活躍した。 越後国村上藩士中山湛斉の3男として生まれる。1878年(明治11年)エディンバラ医療宣教会宣教師T・A・パームと押川方義に出会いキリスト教に回心する。1880年(明治13年)3月にパームより洗礼を受ける。 パームの薫陶を受けて、伝道者になることを決心して、1883年(明治16年)に上京し、東京府築地の東京一致神学校に入学する。上京して間もない5月には第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として参加し、植村正久や内村鑑三と一緒に写真と取っている。
松山 高吉(まつやま たかよし、弘化3年12月10日(184… 松山 高吉(まつやま たかよし、弘化3年12月10日(1847年1月26日) - 昭和10年(1935年)1月4日)は、日本の国学者、牧師。文語訳聖書の翻訳に関わった。日本における賛美歌事業の草分けである。 1846年(弘化3年)に越後国糸魚川で生まれ、国学者平田鐵胤に学ぶ。京都の白川家学館で国史律令を、江戸の黒川真頼の下で国文学を修めた。1872年(明治5年)、キリスト教排斥を志し、その実態を探るために神戸のアメリカンボード宣教師D.C.グリーンの日本語教師となったが、回心して1874年(明治7年)に洗礼を受けた。このとき受洗した松山ら11名は摂津第一基督教会(のちの神戸教会)を設立した。 組合教会系の信徒としては最も早くから新島譲と親交があり、新島がアメリカから帰国した際に「譲」は「ゆずる」と誤読される恐れがあるとして「襄」と改めるように忠告したといわれている。