東樋口 徹(とうひぐち とおる、1975年 - )は、日本の… 東樋口 徹(とうひぐち とおる、1975年 - )は、日本の画家。奈良県生駒郡平群町出身、京都府京都市育ち、東京都在住。 両親の故郷である奈良県で生まれ、京都市で育つ。父は京都大学工学部の助手(当時)、母は元高校教師であり画家である。いわゆる芸術一家であり、幼い頃から美術に興味を持つ。2000年に東京藝術大学に入学し、絵画を学ぶ。2004年に大学卒業後、同大学大学院修士課程に進み、版画を学ぶ。博士課程にも進んだが中退し、画家として活動している。現在、東京藝術大学の講師として活躍する傍ら、日本国内外で展覧会を開くなど、活動の範囲は広い。 なお、東樋口の実家は現在でも烏丸に在る。東樋口が生まれた当時、助手だった父親は数年後助教授になり、2001年までは京大の教員として建築を教えていた。
林田 大作(はやしだ だいさく、1967年 - )は、日本の… 林田 大作(はやしだ だいさく、1967年 - )は、日本の建築工学者、都市計画家。2021年4月より畿央大学健康科学部人間環境デザイン学科教授。 大阪府生まれ、奈良県育ち。1986年奈良県立奈良高等学校卒業。1991年東北大学工学部建築学科卒業。1993年東北大学大学院工学研究科建築学専攻博士前期課程修了、修士(工学)。2004年大阪大学大学院工学研究科建築工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)。大林組東京本社設計本部勤務後、2004年和歌山大学システム工学部環境システム学科准教授、2010年大阪工業大学工学部建築学科准教授を経て、2021年畿央大学健康科学部人間環境デザイン学科教授。 専門は、建築工学・都市計画・まちづくり学。
絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月2… 絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年〈昭和18年〉1月24日 - 2025年〈令和7年〉8月1日)は、日本の洋画家。位階は従三位、勲等は文化勲章。独立美術協会会員、大阪芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、一般社団法人日本美術家連盟理事などを歴任した。 長男は彫刻家の絹谷幸太、次女は画家の絹谷香菜子。 奈良県奈良市元林院町に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。 小学校一年生の頃から油絵を習い始めた。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、目から鱗が落ちるほどの感銘を受け、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究した(「アフレスコ」(affresco) はイタリア語で「フレスコ」のこと)。
片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は… 片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は、日本の建築学者、都市計画家。 日本初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンの設計者である。妻は栄養学者・料理研究家の片寄眞木子(神戸女子短期大学名誉教授)。 奈良市生まれ。1960年京都大学工学部建築学科卒、62年同大学院工学研究科修士課程修了。1977年「ニュータウンの建設過程に関する研究」で工学博士。京都大学では西山夘三研究室に在籍し、日本住宅公団より「北大阪丘陵地帯の開発計画に関する研究」の委託を受けた西山と共に千里ニュータウン計画を作成する。卒業後も西山と共同でニュータウンの建設計画や軍艦島の研究などを行っている。 1961年から1962年にかけては第一次京大アフリカ類人猿学術調査隊の一員として、今西錦司隊長らと共にアフリカに渡る。
不染 鉄(ふせん てつ、1891年6月16日 - 1976年… 不染 鉄(ふせん てつ、1891年6月16日 - 1976年2月28日)は、大正から昭和にかけて活動した日本画家。 1891年(明治24年)6月16日、東京・小石川の光円寺住職であった不染信翁の子として生まれる。本名は哲治。のち哲爾に改める。別号に鉄二。「不染」の名字は、平民苗字必称義務令にあたり父・信翁自らが名乗ったものだという。当時一般には僧侶の妻帯を認められておらず、母との関係はふせられたまま不染は光円寺で育てられた。 こうした複雑な境遇から、不良少年とみなされていたという。小学4年の春に千葉県富浦の西方寺で修行させられた後、芝中学校、攻玉社中学校、大正大学などで学ぶ。画を志し、山田敬中に師事。