大田 信一(だいた しんいち、1856年6月28日(安政3年… 大田 信一(だいた しんいち、1856年6月28日(安政3年5月26日)– 1918年(大正7年)11月18日)は、明治・大正期の地主、政治家。衆議院議員、和歌山県海草郡巽村長。 紀伊国名草郡重根村(和歌山県名草郡巽村、海草郡巽村を経て現海南市)で素封家・大田善之助の長男として生まれた。 1888年(明治21年)2月、和歌山県会議員に当選し、1890年(明治23年)9月に退職。1889年(明治22年)初代巽村会議員に選出された。1893年(明治26年)5月、巽村長に就任し、1894年(明治27年)6月に辞職。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で和歌山県第一区から出馬して当選。1898年(明治31年)3月の第5回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
