藤原 淳賀(ふじわら あつよし、1965年2月28日 - )… 藤原 淳賀(ふじわら あつよし、1965年2月28日 - )は、日本の牧師、神学者、キリスト教社会倫理学者。青山学院大学地球社会共生学部教授。 岡山県岡山市出身。玉川大学文学部教育学科卒業。1989年慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了。1994年ゴールデン・ゲート・バプテスト神学校修士課程神学専攻修了(M.Div.)。1999年ダラム大学大学院博士課程神学専攻修了(Ph.D.)。 東京基督教大学専任講師、聖学院大学総合研究所准教授、教授、同大学教授を経て現職。
竹入 高(たけいり たかし、1902年12月9日 - 194… 竹入 高(たけいり たかし、1902年12月9日 - 1943年11月21日)は東洋宣教会日本ホーリネス教会の牧師であり、ホーリネス弾圧事件が原因で殉教した人物である。 1902年(明治35年)に岡山県赤磐郡熊山に生まれる。1924年(大正13年)に奈良駅の駅員として勤務していた時に、日本ホーリネス教会の監督中田重治の長女、中田ムツの路傍伝道により求道を始める。1926年(大正15年)に聖書学院に入学する。 1928年(昭和3年)に聖書学院を卒業し、富山、豊橋、尾張一ノ宮、京都の牧師を歴任する。 1942年6月のホーリネス弾圧事件で京都西陣署に拘引される。10月に京都拘置所に移送される。1943年9月に病気のために保釈になる。
露無 文治(つゆむ ぶんじ、慶応2年2月18日(1866年4… 露無 文治(つゆむ ぶんじ、慶応2年2月18日(1866年4月3日) - 昭和16年(1941年)2月22日)は日本組合基督教会の牧師である。 1866年(慶応2年)備中国倉敷天城に久次郎、せん子の子として生まれる。1882年(明治15年)岡山市に出て原泉学舎で漢学を学び、オティス・ケーリや金森通倫によりキリスト教に接する。 新聞で新島襄の経歴を読んで渡米することを志すが、天城教会の亀山昇から同志社に行くように勧められ、同志社英学校に入学した。在学中に、京都第二公会(現・日本基督教団同志社教会)でアメリカンボードのJ・D・デイヴィスから洗礼を受ける。 在学中、同志社英学校で開催された第1回夏季学校の記録を編集して、『学生之大会』を刊行する。
綱島 佳吉(つなしま かきち、1860年8月12日(万延元年… 綱島 佳吉(つなしま かきち、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1936年6月27日)は、日本の会衆派教会の牧師である。 1860年(万延元年)医師綱島行篤と母もんの二男として美作国真島郡新庄村に生まれる。大阪で、松村矩明に医学を学ぶ。1877年(明治10年)大阪で波花教会を設立するときに、牧師の沢山保羅より洗礼を受ける。同年同志社の神学部に編入し新島襄の教えに心酔する。 1879年(明治12年)、同志社在学中に上代知新と共に鳥取に派遣される。1880年(明治13年)6月に卒業して、西京第三公会(平安教会)の伝道師になる。日本組合基督教会の成立に伴い、各地に派遣され福島など東北地方の伝道などを行う。
二宮 邦次郎(にのみや くにじろう、安政7年1月2日(186… 二宮 邦次郎(にのみや くにじろう、安政7年1月2日(1860年1月24日) - 大正15年(1926年)9月7日)は明治・大正期の日本の牧師、教育者。 備中松山藩士の片貝正倫・ヨシの子として生まれ、藩医二宮英庵の養子となる。 1876年(明治9年)4月に岡山師範学校を卒業し、小学校教員をしながら自由民権運動の演説会などで活動していたが、新島襄や金森通倫の岡山伝道に接したことがきっかけで1880年(明治13年)に岡山教会で新島から洗礼を受け、さらに同志社の速成邦語神学科で学んだ。 1882年(明治15年)には高梁教会の設立に尽力したあと、美作落合教会の2代目牧師に就任する。さらに愛媛県の今治教会に転じ、横井時雄牧師を助けて松山伝道にも加わり、1885年(明治18年)に松山第一基督教会(現・日本基督教団松山教会)を設立した。