豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき、1981年4月16日 … 豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき、1981年4月16日 - )は、山口県下関市(旧・豊浦町)出身で錣山部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 洋介(やまもと ようすけ)。現役時代の体格は身長186cm、体重151kg。得意手は右四つ、寄り、左前褌(みつ)。四股名の由来は、〈豊〉は合併のため消滅した豊浦町から、〈真〉は本人の心、〈将〉は大将、〈紀〉はものごとの初めを意味する出身校の監督の一字、〈行〉は父から一字をもらったもので、父母への御礼に従うという意味が込められている。最高位は東小結(2012年5月場所)。趣味は読書、史跡巡り。現在は年寄・錣山。 地元の旧豊浦町立豊浦中学校(現在の下関市立夢が丘中学校)には校庭に立派な土俵小屋があり、そこで高校生らと混じって鍛えられ、地元の大会でも優秀な成績を修めていた。
琴岩国 武士(こといわくに たけし、1972年10月21日 … 琴岩国 武士(こといわくに たけし、1972年10月21日 - )は、山口県岩国市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は藤本 武志(ふじもと たけし)。身長188cm、体重163kg。最高位は東十両12枚目(1999年9月場所)。得意技は左四つ、寄り。趣味はテレビ鑑賞、血液型はB型。 1988年3月場所初土俵。決して早くは無かったが、着実に番付を上げて行った。取り口は左四つ。1996年3月場所には西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し新十両が確定的の状況になったが、十両下位で負け越しをしている力士が少なかったため十両昇進が見送りになり、翌5月場所は東幕下筆頭の地位に留まった。(この結果を受け[要出典] 、以後東西にかかわらず筆頭での勝ち越しを最優先することとなった。
床貴(とこたか、1964年11月26日 - )は、大相撲の床… 床貴(とこたか、1964年11月26日 - )は、大相撲の床山。本名は吉本秀樹→篠原秀樹。山口県宇部市出身。現在阿武松部屋所属(所属部屋履歴は二子山部屋→藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋→阿武松部屋)。元力士で、現在一等床山を務めている。
白法山 旺三(びゃくほうやま おうぞう、1948年4月26日… 白法山 旺三(びゃくほうやま おうぞう、1948年4月26日 - )は、春日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は金本 龍雄(かなもと たつお)。現在の山口県岩国市出身。178cm、111kg。最高位は東十両7枚目。得意技は寄り、押し。 1964年3月場所に初土俵。1971年1月場所に東幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越し、病床にいた春日山が没する直前に十両昇進を決定的にした。1971年3月場所に十両昇進し、春日山が大関の時に贈られて未使用だった締め込みを使わせてもらった。1973年1月場所に24歳で廃業。廃業後は山口県岩国市玖珂町で相撲料理店「白法山」を経営した。寄りと押しを主体とした取り口であったが、叩く癖があった。
魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - 2… 魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - 2014年5月18日)は、花籠部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関。本名は西森輝門(にしもり てるゆき)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。身長188cm、体重130kg。黒いダイヤや怪傑黒頭巾、クリーン大関の異名がある。血液型はAB型。引退後は年寄・放駒として放駒部屋の師匠となり、日本相撲協会第11代理事長(在任期間:2010年8月-2012年1月)を務めた。
太刀光 昭洋(たちひかり あきひろ、1943年5月19日 -… 太刀光 昭洋(たちひかり あきひろ、1943年5月19日 - 没年不明 )は、山口県下関市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は小戸 昭洋(おど あきひろ)。181cm、105kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 山口県立水産高等学校の時に全国高校選手権で準優勝の活躍を見せ、それを聞いた多数の相撲関係者に勧誘されたが、ある部屋を訪ねると関取衆の体格が余りに大きいのに驚いて拓殖大学へ進学した。しかし、大学1年生の時、学生出身力士の豊山勝男が大関になる活躍を見て、卒業後の入門を秘かに決意した。1966年1月場所、高砂部屋から幕下付出で初土俵。出世は早くなかったが、1970年3月場所に4年がかりで十両昇進を果たす。
栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 20… 栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 2008年1月21日)は、山口県山口市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は友景 通忠(ともかげ みちただ)。180cm、133kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。 防府高校から春日野部屋に入門。1959年5月場所に初土俵。入門当初から将来を期待され、その期待通りに幕下まで負け越し知らずで出世したが、1961年5月に稽古で左膝関節を捻挫して低迷した。怪我が治ってから再び順調に出世し、1965年5月場所に十両昇進。9場所在位したが入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。