宮本 谷蔵(みやもと たにぞう、1845年10月15日(弘化… 宮本 谷蔵(みやもと たにぞう、1845年10月15日(弘化2年9月15日)- 1932年(昭和7年)3月20日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 阿波国勝浦郡中郷村(現徳島県小松島市中郷町)で、素封家・宮本本右衛門の長男として生まれ、その後、家督を相続した。 1897年7月3日、徳島市前川町に徳島県初の紡績工場を経営する阿波紡績株式会社が設立され、宮本が初代社長に就任した。次の社長に板東倹吉が就任したが、赤字経営のため再び宮本が社長に就任して整理に当り、会社は堺紡績に合併した。 1904年6月10日に執行された、徳島県下15名の互選による貴族院多額納税者議員選挙で当選し、同年9月29日に就任し、1911年9月28日まで1期在任した。
阿部 興人(あべ おきと〈おきんど〉、1845年10月5日〈… 阿部 興人(あべ おきと〈おきんど〉、1845年10月5日〈弘化2年9月5日〉 - 1920年〈大正9年〉1月2日)は、日本の政治家・実業家。阿波国板野郡木津村(現在の徳島県鳴門市)出身。幼名は金兵衛。 阿波国木津村(現在の鳴門市撫養町木津)の名主・阿部猪蔵の5男として生まれる。その後、徳島藩士である阿部岸蔵の養嗣子となる。柴秋邨の思済塾に学び、後に塾頭となる。同じ塾生だった近藤廉平とは終生にわたる親友であった。1869年(明治2年)、益田武衛、南堅夫とともに外交御用となり上京。藩の給付を受けて慶應義塾に学んだが、すぐに帰郷した。 1870年(明治3年)、長州藩で起こった脱隊騒動の視察を命じられ、益田・南と共に徳大寺実則一行と蒸気船・戊辰丸(徳島藩船)に乗り、山口を視察。
芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保1… 芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保12年12月10日〉- 1920年〈大正9年〉1月10日)は、日本の官僚・政治家。旧姓は原田、高橋、幼名は賢吉。号は越山。栄典は従一位勲一等伯爵。 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献。山縣有朋に認められて政界へ進出した。東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めた。東京府知事では市区改正や築港に尽力し、第1次山県内閣の文部大臣では教育勅語の制定に関与した。 阿波国麻植郡山川町(現:徳島県吉野川市)で医師であった原田民部の5人兄弟の末子として生まれる。
川真田 市太郎(かわまた いちたろう、1842年(天保13年… 川真田 市太郎(かわまた いちたろう、1842年(天保13年2月) - 1919年(大正8年)5月30日)は、日本の政治家、実業家。徳島県吉野川市出身。別名は市兵衛。 麻植郡鴨島町(現在の吉野川市)で生まれる。実家は藍商を営む。藍の粗悪を戒め、製品の声価を高めることに努めた。また、吉野川の氾濫を防ぐため、堤防を修築する等の功績を上げた。 1887年(明治20年)、阿波国共同汽船を起し、同社の社長に就任。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選。徳島鉄道の敷設、吉野川改修工事に功労があった。 1919年(大正8年)5月30日、78歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
高井 幸雄(たかい ゆきお、1840年(天保11年10月) … 高井 幸雄(たかい ゆきお、1840年(天保11年10月) - 1909年(明治42年)11月26日)は、日本の政治家。徳島市長。現徳島県徳島市出身。 嫡男は広島県立職工学校や台北州立台北工業学校で校長を務めた高井利五郎。 徳島城下の富田浦町車富田(現在の徳島市東富田地区)の徳島藩士の家に生まれた。 井上高格や一坂俊太郎等がつくった自助社の運動に加わり、自助社が出版した過激な言葉で日本政府を批判した「通諭書」の事件後は、1882年(明治15年)に那賀部長を勤めた。 徳島県会議員となった後の1898年(明治31年)から1902年(明治35年)は徳島市長を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
岩本 晴之(いわもと はるゆき、1834年1月25日(天保4… 岩本 晴之(いわもと はるゆき、1834年1月25日(天保4年12月16日)- 1913年(大正2年)11月21日)は、幕末の徳島藩士、明治期の政治家(衆議院議員)。通称は才二郎。 阿波国名東郡徳島城下富田浦町(現徳島県徳島市)で徳島藩士・香川周満の子として生まれ、のち岩本品蔵の養子となる。学問を新居水竹に学ぶ。明治維新後は徴士、三河県(現・愛知県)判事、白川県(現・熊本県)大参事、民政局検事助役、徳島藩権大属、名東県権大属、同大属、中属を経て、司法省に入り、少解部、権中解部、大区長兼学区取締となる。1875年(明治8年)に徳島に戻り自由民権運動に参加。その後、阿波郡長・麻植郡長・名東郡長、日本赤十字社徳島県委員長などを歴任する。
井上 高格(いのうえ たかのり/こうかく、1831年7月19… 井上 高格(いのうえ たかのり/こうかく、1831年7月19日(天保2年6月11日) - 1893年(明治26年)4月24日)は、日本の政治家。初代徳島市長。徳島藩士。阿波国名東郡徳島(現・徳島県徳島市大岡本町・渭北地区)出身。次男は英語学者の井上十吉。玄孫は歌手の井上真紀。 1831年に徳島藩士である井上高超の嫡子として生まれる。その後、家督を相続、徳島藩の目付を務める。そのすぐ後に京都にて長州藩士らと交わり、尊王攘夷運動に参加。徳島に戻り、14代藩主である蜂須賀茂韶の下で力を発揮する。 1871年に徳島県の大参事に抜擢。1874年に後の徳島市長である一坂俊太郎らと共に自由民権運動を訴える「自助社」を結成し代表となる。
粟谷 品三(あわや / あわたに しなぞう、1830年4月7… 粟谷 品三(あわや / あわたに しなぞう、1830年4月7日(天保元年3月15日)- 1895年(明治28年)11月10日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。旧名・桜木注兵衛。 阿波国板野郡五条村(徳島県板野郡五条村、一条村、一条町、吉野町を経て現阿波市吉野町五条)で、地主・桜木忠兵衛の息子として生まれた。10歳で父が死去したため伯父、藍玉商・桜木忠次の後見を受けて成長した。農業より商業を好み大阪で藍玉、砂糖の商いを数年行って、弟・延次郎に家督を譲り大坂に移った。 幕末に剣術を習い、諸藩の浪士と交わり国事に奔走した。明治維新後、名を粟谷品三と改め、幕末に往来した防長諸州の物産を扱う防長物産会社を有志と組織して社長に就任した。
大塚 小百合 は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。… 大塚 小百合 は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。戸籍名は杉﨑小百合。
三木 武夫 は、日本の政治家。