中村 孝(なかむら たかし、1962年7月31日 - )は、… 中村 孝(なかむら たかし、1962年7月31日 - )は、日本の検察官。最高検察庁刑事部長、横浜地方検察庁検事正、仙台高等検察庁検事長、大阪高等検察庁検事長などを務めた。 福岡県久留米市出身。九州大学法学部卒業。1990年 検事任官。東京地方検察庁検事。 2014年1月9日 名古屋地方検察庁刑事部長。2015年4月1日 名古屋地方検察庁特別捜査部長。2016年4月11日 東京地方検察庁刑事部長。2017年7月7日 東京高等検察庁刑事部長。2018年6月25日 那覇地方検察庁検事正兼福岡高等検察庁那覇支部長。2020年7月22日 名古屋高等検察庁次席検事兼法務総合研究所名古屋支所長。2022年6月24日 最高検察庁刑事部長。
青沼 隆之(あおぬま たかゆき、1955年2月25日 - )… 青沼 隆之(あおぬま たかゆき、1955年2月25日 - )は、日本の検察官、法務官僚、弁護士。法務省保護局長や、東京地方検察庁検事正、次長検事、名古屋高等検察庁検事長等を歴任した。 福岡出身。1973年久留米大学附設高校卒業。同級生に鶴丸哲哉元ルネサスエレクトロニクス会長、栗木康幸元東京エレクトロンデバイス社長がいた。 1978年中央大学法学部法律学科卒業。1982年司法修習修了、東京地方検察庁検事任官。福岡地方検察庁検事、福島地方検察庁検事を経て、1991年から外務省国際連合局付や外務省総合外交政策局付を務めた。 1994年大阪地方検察庁検事。東京地方検察庁検事や東京高等検察庁検事を経て、2002年東京地方検察庁公判部副部長。
吉戒 修一(よしかい しゅういち、1948年7月7日 - )… 吉戒 修一(よしかい しゅういち、1948年7月7日 - )は、日本の法務官僚、裁判官、検察官、弁護士。法務省民事局担当審議官、法務省人権擁護局長などを経て、東京高等裁判所長官を最後に定年退官し、退官後はTMI総合法律事務所顧問弁護士や、国土交通省中央建設工事紛争審査会特別委員などを務める。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2… 村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2000年12月25日)は、日本の検察官。広島高等検察庁検事長などを務めた。位階は正三位。勲等は勲二等。 福岡県北九州市出身。1952年東京大学法学部卒業。大学3年の在学中に司法試験合格を果たす。 著書は約30冊におよび、警察官向けのテキストが多く、中には東京地方検察庁特別捜査部長などを歴任した河上和雄や藤永幸治との分担執筆や共著の書籍もある。 元最高裁判所裁判官である団藤重光を支持する。 1998年、勲二等旭日重光章を受章。2000年12月25日、肝臓疾患のため死去。 刑法を研究する。刑事責任について、精神科医に精神医学は未知の分野であることを告げられ、また、道路交通の実務体験では、目撃証言や裁判官の見解次第で過失か否かが次々と覆ることなどから、責任能力や過失については運が良いか悪いかが決め手であるとし、これを「運天主義」と呼んだ。
馬場 義続(馬場 義續。、ばば よしつぐ、1902年11月3… 馬場 義続(馬場 義續。、ばば よしつぐ、1902年11月3日 - 1977年2月24日)は、日本の検察官。位階は正三位。元検事総長。子に馬場義宣(弁護士、学習院大法科大学院教授、元最高検公安部長、法務省保護局長)。 福岡県(現 朝倉市秋月)出身。生家は貧乏であったが、幼少期よりすべての科目で秀才の誉れが高く、特に数学では並外れた才能を持っていたため、上級学校進学の援助者があり、田川中学、五高を経て、1927年3月に東京帝国大学法学部法律学科英法科卒業。同年12月に高文行政科・司法科試験に二度目で八番で合格。 翌年の1928年に司法官試補、1929年に検事任官。同期の柳川真文、井本臺吉らと共に“3羽ガラス”と称され、一期下に田中萬一がいた。
江上 緑輔(えがみ ろくすけ、1889年9月 - 没年不詳)… 江上 緑輔(えがみ ろくすけ、1889年9月 - 没年不詳)は、日本、朝鮮の検察官。 江上末吉の長男として福岡県に生まれる。1908年福岡県立中学修猷館、1911年7月第五高等学校英語法律科を経て、1917年7月東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。 長崎地方裁判所などの検事を務めた後、朝鮮に渡り、釜山地方法院、晋州支庁、咸興覆審法院、平壌覆審法院、京城地方法院の各検事を経て、1940年清津地方法院検事正、1943年3月大田地方法院検事正に就任する。