近藤 廉(こんどう れん、1998年9月22日 - )は、東… 近藤 廉(こんどう れん、1998年9月22日 - )は、東京都板橋区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 板橋区立志村第六小学校2年時に蓮根ロータスで野球を始め、板橋区立志村第三中学校時代は志村ボーイズに所属。 中学卒業後は豊南高等学校へ進学したが、最高成績は3年時春の東京都大会2回戦だった。野球は高校卒業と同時に辞めるつもりであったが、3年時夏の東東京大会初戦で城西大学附属城西高等学校に敗北したことをきっかけに続行を決意し、誘いを受けていた札幌学院大学の練習に参加した結果、環境などが気に入ったため、同大学の経営学部経営学科へ進学した。 大学では1年時の春に札幌六大学野球の二部リーグでデビューし、通算3勝9敗の成績を残した。
比屋根 渉(ひやね わたる、1987年6月20日 - )は、… 比屋根 渉(ひやね わたる、1987年6月20日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。
稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、… 稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、東京都江戸川区出身のオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属する日本の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。ベースボール・チャレンジ・リーグの創設初年度以来17年にわたって同リーグでプレーを続け、「ミスターBCリーグ」(ミスター独立リーグ)「鉄人」とも称された。 江戸川区立南小岩第二小学校時代は「江戸川リトル」、船橋市立大穴中学校時代は「江戸川ボーイズ」でプレー。 安田学園高等学校から城西大学に進む。大学野球部では、4年生の時に首都大学リーグのベストナインに遊撃手のポジションで選出された。社会人野球チームを持つ九州の企業から内定を得ていたが、卒業を控えて父親が急逝したことから、母親を一人で残せないという理由で辞退し、東京のホテルに就職して横浜市のクラブチーム・横浜ベイブルースでプレーを続けることになった。
阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大… 阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大分県大野郡緒方町(現在の豊後大野市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年時に野球を始める。柏原高では怪我の影響で公式戦未勝利に終わった。首都大学野球連盟所属の城西大学では4年時の春季リーグ戦で最優秀選手賞を受賞した。 2007年に社会人野球の日本通運に入団。2009年には、比嘉幹貴らと共に第38回IBAFワールドカップ日本代表に選出された。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名。契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は43。 2012年11月5日に、東野峻・山本和作との交換トレードによって、香月良太と共に読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍することが発表された。
佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登… 佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登米市出身の日本の野球指導者。岡山学芸館高等学校社会科教諭。 登米市立中田中学校卒業後は、仙台育英学園高校に進学。高校時代の同級生には後に仙台育英高校野球部の監督を務める須江航がいた。在学時には、1年夏、2年夏、3年春夏の4度甲子園大会に出場。特に3年春の選抜大会では準優勝の成績を収めている。 高校卒業後は、首都大学野球連盟所属の城西大学に進学。2年秋の明治神宮野球大会に出場。 大学卒業後の2006年から2011年迄は岡山県の岡山県作陽高校に勤務。野球部のコーチや部長を務めた。 2013年からは、岡山学芸館高校に赴任。部長を務め、2018年夏の大会終了後からは監督に就任。
中山 慎也(なかやま しんや、1982年2月22日 - )は… 中山 慎也(なかやま しんや、1982年2月22日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )… 渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )は、茨城県牛久市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 現役最終年の2020年には楽天の現役選手として初めて一軍打撃コーチを兼務した。 小学3年時から軟式野球を始める。 牛久市立下根中学校、牛久高等学校から城西大学へ進み、3年秋に明治神宮大会の同校初出場で準優勝に貢献。4年春はベストナイン遊撃手。三菱ふそう川崎に入社。入社後は遊撃手として、1年目と3年目に都市対抗野球大会での優勝を経験した。2004年の東京スポニチ大会では大会新記録となる打率を記録。4年目の2006年には、第16回IBAFインターコンチネンタルカップに日本代表として全9試合に出場。
西山 道隆(にしやま みちたか、1980年1月9日 - )は… 西山 道隆(にしやま みちたか、1980年1月9日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)。
本柳 和也(もとやなぎ かずや、1976年11月5日 - )… 本柳 和也(もとやなぎ かずや、1976年11月5日 - )は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手(投手)。 江川卓のファンだった父親の影響で野球を始めた。運動神経抜群で、少年野球チームでは遊撃手と投手兼任、越谷市立富士中学校では中堅手で先頭打者を務めたが、本人は投手を希望していた。[要出典] 中学3年時、甲子園で春日部共栄高校の小柄な投手が好投する姿を見て同校への進学を決意した。高校時代は、土肥義弘の控え投手。2年時にチームは甲子園で準優勝するがベンチ入りならず、3年夏はベンチ入りして埼玉大会の準決勝では先発、決勝で浦和学院高等学校に0-7で敗れこの試合は登板なく甲子園出場を逃した。[要出典] その後、城西大学では3年春に1年上のエース・礒恒之と初優勝に貢献。
礒 恒之(いそ つねゆき、1975年11月29日 - )は、… 礒 恒之(いそ つねゆき、1975年11月29日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 小学5年の時に父がコーチを務めるチームで野球を始める。栃木・黒羽高校では1年秋からエースだった。卒業後、城西大学に入り、4年春に6勝を挙げ首都大学野球リーグ初優勝に貢献し、最優秀投手に選ばれた。秋は最下位となるも入替戦の3戦目は完投で1部残留を決めた。大学通算38試合に登板、15勝10敗。 1997年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け入団。 ルーキー時代から全身を大きく使った豪快なフォームから繰り出す140km/h台後半のキレのあるストレートを武器に先発・中継ぎとして登板。
白鳥 正樹(しらとり まさき、1975年5月10日 - )は… 白鳥 正樹(しらとり まさき、1975年5月10日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。血液型はA型。 小2から野球を始め、埼工大深谷高校ではエースとして3年春夏ともに県大会ベスト8。城西大学では4年生の時に大学選手権に出場して登板、1997年のドラフト7位で同僚の礒恒之とともに千葉ロッテマリーンズに入団。変則サイドスローで、即戦力投手として期待されていた。 しかし、1年目は肩の故障に悩まされ、1軍の試合はおろか2軍の試合にさえも1試合も登板出来なかった。 2年目も肩が完治せず、結局2軍の試合にわずか1試合、2/3イニングを投げただけに留まり、一度も1軍に上がる事も無いまま戦力外通告を受け、引退した。
代田 建紀(だいた たけのり、1974年2月11日 - )は… 代田 建紀(だいた たけのり、1974年2月11日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区(現:泉区)出身の元プロ野球選手(外野手、右投両打)・コーチ。 小学3年の時に野球を始め、中学時代は内野手としてプレーした。 藤嶺藤沢高で外野手に転向する。2年先輩に石井貴がいた。 高校卒業後は城西大学へ進み3年春、4年秋にベストナイン、社会人野球の朝日生命に入社。1年目は1番打者としてチーム初出場の都市対抗野球ベスト4、2年目に東京スポニチ大会で活躍すると都市対抗は補強選手として出場。 1997年、同年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから6位指名を受け、入団。背番号33。 シーズンオフに球団からコーチ就任の打診があり、2009年からはロッテの二軍外野守備走塁コーチに就任。
小原沢 重頼(こはらざわ しげより、1969年8月9日 - … 小原沢 重頼(こはらざわ しげより、1969年8月9日 - )は、埼玉県三郷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年の時に野球を始め、中学3年の時に投手となる。 浦和実業高から、首都大学野球連盟に加盟する城西大学に進学。1年春から登板し、2年の時にリリーフから先発に転向する。大学時代は、伸びのある速球と縦に大きく割れるカーブを武器に1部通算43登板20勝8敗、通算防御率1.80の成績を残した。3年次の秋には5勝1敗、防御率0.68の成績をマークし最優秀投手賞とベストナインを獲得している。4年夏には全日本メンバーにも選ばれた。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け入団。