紙中 礼子(かみなか れいこ、1958年 - )は、日本の作… 紙中 礼子(かみなか れいこ、1958年 - )は、日本の作詞家。日本音楽著作権協会正会員、日本作詩家協会監事 大阪府大阪市出身。大阪府立天王寺高等学校を経て、大阪薬科大学を卒業する。 学生時代はシンガーソングライター志望であった(ピアノやハモンドオルガンなどの楽器経験もある)。 薬剤師資格を取得して病院や薬局などに勤めながら作詞家を目指した。1992年より約4年間広島に在住していたときには地元のタウン誌やPR誌などのライターをしていた。そこで取材した広島新生学園の歴史に感銘を受け、戦災孤児の救済、教育に尽力した学園を題材にしたノンフィクション『翔べ! 太陽の子供たち』を1997年に上梓した。 作詞家としては長い下積みの末、2005年に三船和子「半分貸します」、2007年に五木ひろし「せめて一日戻れたら」が、いずれも公募で選ばれ作品化される。
肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日… 肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日 - )は、日本の児童文学作家、政治家、薬剤師。大阪樟蔭女子大学教授、文字・活字文化推進機構理事長。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を歴任。 大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校を経て 1965年に大阪薬科大学卒業。1965年、白水貿易株式会社 歯科医療器入社。1975年、薬局開業。1979年に「先生しごいたる」で児童文学作家としてデビュー。1981年、川村たかし・那須正幹ら児童文学創作集団「亜空間」の結成に参加。 1989年の第15回参議院議員通常選挙において日本社会党公認で比例区より立候補し初当選。1991年、社会党シャドーキャビネット文化政務次官に就任。
朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007… 朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007年12月13日)は、日本の作詞家。本名は普久原 朝弘(ふくはら ちょうこう)で、作曲家・普久原恒勇の実弟である。 越来村(現在の沖縄市)胡屋出身。大阪薬科大学を卒業後、レコード店や薬局経営の傍ら、作詞家として「ウーマクカマデー」「ちんぬくじゅうしい」(以上、三田信一作曲)「ヘイ!二才達」「ゆうなの花」「島やから」(以上、普久原恒勇作曲)など、数多くのヒット作を生み出す。 妻はでいご娘の三女・普久原千津子(旧姓・比嘉)。 2007年12月13日、胃がんのため死去。享年73。
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月… 初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 兵庫県姫路市大黒町(現・大国壱丁町)に、薬種商井上又次・たねの三女として生まれる。本名・しづ江。姫路高等女学校(現・兵庫県立姫路東高等学校)を卒業し、大阪道修薬学校(現・大阪薬科大学)に入学。薬剤師の検定試験を受けて合格。姫路に帰郷し、親戚の病院へ調剤の見習いに通う。 その後、姫路高女時代から交際していた初井佐一と結婚(当時20歳)。佐一の生家・初井家は姫路を代表する大地主で素封家であった。歌誌『アララギ』の会員で短歌を作っていた夫に勧められて作歌を始め、1926年に「日光」に入社、北原白秋に師事。