東原 敏昭(ひがしはら としあき、1955年〈昭和30年〉2… 東原 敏昭(ひがしはら としあき、1955年〈昭和30年〉2月16日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社日立製作所代表執行役会長、日立技術士会会長、日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長、一般社団法人日本機械工業連合会会長、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会会長、公益財団法人日独協会会長。徳島県小松島市出身。学位は工学士(徳島大学・1977年)、修士(ボストン大学・1990年)。 阿南工業高等専門学校第3年次中退を経て徳島大学工学部電気工学科を卒業。1977年に日立製作所入社。大みか工場に配属され、制御システムの開発に携わる。1990年にボストン大学大学院コンピュータサイエンス学科を修了。
中村 修二(Shuji NAKAMURA、なかむら しゅうじ… 中村 修二(Shuji NAKAMURA、なかむら しゅうじ、1954年(昭和29年)5月22日 - )は、日本出身のアメリカ人技術者、電子工学者[注釈 1]。学位は博士(工学)(徳島大学、1994年)。2014年度ノーベル物理学賞受賞者[10]。
中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は… 中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は、日本の技術者、実業家。東洋ゴム工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本自動車タイヤ協会会長を務めた。 兵庫県出身。兵庫県立姫路東高等学校を経て、1971年徳島大学工学部卒業、東洋ゴム工業入社。タイヤ技術部長を経て、2003年執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2004年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2005年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ企画部長。2006年取締役常務執行役員タイヤカンパニー タイヤ企画部長。2007年取締役常務執行役員ダイバーテックカンパニー執行社長。2008年から代表取締役社長を務め、大型タイヤ事業の強化や、グローバル化を進めた。
好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )… 好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。トヨタ自動車取締役や、豊田紡織代表取締役社長、トヨタ紡織代表取締役会長、岡山大学経済学部特任教授等を歴任した。 岡山県久米郡美咲町出身。1961年徳島大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事しトヨタ生産方式の整備にあたり、楠兼敬の下でトヨタ自動車生産調査室主査(部長)として、生産調査室の活動の確立を進めたのち、1988年トヨタ自動車取締役に昇格。トヨタ自動車高岡工場長、上郷工場長を経て、1994年豊田紡織取締役副社長。 1996年から豊田紡織代表取締役社長を務め、2004年にはアラコ、タカニチとの合併契約を締結し、トヨタ紡織への商号変更を行った。
小川 信雄(おがわ のぶお、1912年(明治45年)7月9日… 小川 信雄(おがわ のぶお、1912年(明治45年)7月9日 - 2002年(平成14年)9月6日)は、日本のエンジニア・実業家。日亜化学工業創業者、元社長、元会長。同社を世界有数の蛍光灯用・ブラウン管テレビ用蛍光体メーカーに育て上げ、中村修二の青色発光ダイオード開発も決定、支援した。阿南市名誉市民。子供は男女各2人の4人。現・日亜化学工業会長の小川英治は長女の婿養子。 1912年(明治45年)7月9日、徳島県那賀郡長生村(現・阿南市長生町)において、久積鶴吉・ソノ夫妻の末子として誕生。高等小学校卒業後の1927年(昭和2年)、県立富岡中学校(現・富岡西高校)に入学。同級生に後藤田正晴が居て、柔道部で小川と後藤田は互いを認める間柄となった。