仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、… 仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読谷村立古堅南小学校で野球を始め、読谷村立古堅中学校在学時は硬式野球のクラブチームである北谷ボーイズでプレーしていた。 2学年上の兄・玖礼を追い、沖縄県立嘉手納高等学校へ進学。1年夏にチームは第98回全国高等学校野球選手権大会へ出場し、玖礼がエースを務めたが、自身はベンチ外だった。その後2年時からエースを務めた。1年夏以降は甲子園大会への出場はなく、3年夏は沖縄県大会準決勝で宮城大弥擁する興南に敗れた。 沖縄大学に進学し、1年時からベンチ入り。3年春に出場した全日本大学野球選手権大会では名城大学を相手に8回1失点と好投し、注目を集めた。
比嘉 公也(ひが こうや、1981年6月29日 - )は、沖… 比嘉 公也(ひが こうや、1981年6月29日 - )は、沖縄県名護市出身の高校野球指導者、元アマチュア野球選手(投手、左投左打)。 沖縄尚学高等学校では3年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場し、比叡山との1回戦で村西哲幸と投げ合い完封勝利。PL学園との準決勝では延長12回、212球を投げ抜き完投勝利した。水戸商業との決勝では自身の登板はなかったが、チームは勝利し沖縄県勢では春夏通じて初となる甲子園大会優勝を果たした。同学年のチームメイトに比嘉寿光がいた。 高校卒業後は愛知学院大学に進学したが、左肘を痛めて現役を引退し、学生コーチに転身した。 大学卒業後は沖縄市の浄水管理所に勤務しながら、沖縄大学で社会科教員免許を取得。
伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 -… 伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 - )は、沖縄県石垣市出身の高校野球指導者である。 石垣島の沖縄県立八重山農林高等学校から本島の沖縄大学に進み、準硬式野球部に所属し全国制覇。 帰島して1978年に沖縄県立八重山商工高等学校の監督に就任した。一度引退したが、石垣市の野球部監督派遣事業に伴い、2003年春に同校監督に復帰。 2006年春のセンバツに初出場し、同年夏の甲子園にも初出場。春夏連続出場を果たし全国最南端高校の偉業と注目された。主力であった大嶺祐太らを小学生時代から指導していた。そのため入学時から期待されていた世代だったが、選手のほとんどが同じ石垣島育ちの幼馴染で競争意識が無く、朝練を休んだりサボったりとのんびりした性格が災いし当初は勝ちきれずにいた。
上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は… 上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 那覇商業高では、2年生からエースを任された。 沖縄大学では、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1974年にドラフト外にてロッテオリオンズに入団した。翌1975年に上田と同じくロッテに入団した池畑満也と共に準硬式野球の中心選手だった。 変則的なフォームから速球とカーブを投げ分ける投球が持ち味だったが、一軍公式戦の出場がないまま1976年に退団した。 その後、沖縄県唯一の女子硬式野球クラブ、沖縄ティーダバルの監督を務めた。 2015年からは、沖縄県還暦野球連盟の「琉球ベースボールクラブ」で投手として活躍中。
池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は… 池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(外野手)。 浦添高から沖縄大学に進学。大学時代は、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1975年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに入団。 1974年に池畑と同じくロッテに入団した上田正則と共に準硬式野球の中心選手で、自身は4番打者を務めていた。 粗けずりながら将来の大物と期待されたが、一軍公式戦の出場がないまま在籍1年で退団した。