佐藤 爽(さとう そう、2003年2月9日 - )は、北海道… 佐藤 爽(さとう そう、2003年2月9日 - )は、北海道北広島市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校2年生のときに『北広島イーストグローリー』で野球を始め、北広島市立大曲中学校時代は硬式野球の『札幌豊平ボーイズ』でプレーした。 札幌山の手高校では2年秋にチーム史上3度目となる全道大会へ進出。ただ、全道大会では帯広農業との初戦(2回戦)で敗退し、3年間では2年秋の全道大会2回戦が最高戦績と目立った実績を残せなかった。 星槎道都大学へ進学すると、1年春からリーグ戦に登板。2年秋にチームは4季ぶりとなるリーグ優勝を果たしたが、明治神宮大会の出場権が懸かった北海道地区代表決定戦では東農大オホーツクに敗れた。
滝田 一希(たきた かずき、2001年12月28日 - )は… 滝田 一希(たきた かずき、2001年12月28日 - )は、北海道寿都郡黒松内町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 6人きょうだいの5番目として生まれ、母子家庭で育った。黒松内町立黒松内小学校で3年生の時に黒松内スターズで野球を始め、黒松内町立黒松内中学校では軟式野球部に所属していた。 北海道寿都高等学校では1年春からベンチ入りしたが、3年間で甲子園大会出場はなく、人数不足により連合チームも経験した。 高校卒業後は就職する予定だったが、練習を見た星槎道都大学監督の二宮至の目に留まって同大学への進学を勧められ、反対する母を説得して進学した。3年時の2022年5月に母が心筋梗塞で亡くなり、一時は野球を辞めることも考えたが、二宮監督の「プロを目指して、契約金で立派な墓を建てろ」という言葉もあり思いとどまった。
小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )… 小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )は、宮城県黒川郡大和町出身の日本のプロ野球選手(投手)。 小学2年生の時に八幡原スポーツ少年団で野球を始め、中学時代は宮城黒川リトルシニアに所属した。聖和学園高等学校では3年夏に背番号10でベンチ入りしたが、仙台育英学園高等学校に3回戦で敗れた。 聖和学園高等学校から星槎道都大学に進む。2年からベンチ入りし、3年春にはチームの抑えを務めた。大学時代には札幌学生野球連盟1部リーグで複数回の優勝を経験した。大学当時について小野寺自身は「星槎道都大2年の時は、リリーフで出て、四球・四球・ホームランみたいな状態でした。3年で先発して1回5失点KOという試合があって、そこからはもう何をやってもだめ。
福田 俊(ふくだ すぐる、1996年12月14日 - )は、… 福田 俊(ふくだ すぐる、1996年12月14日 - )は、北海道札幌市手稲区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 札幌市立手稲山口小学校1年で野球を始める。小学4年のときに神奈川県小田原市に転居し、中学時代は小田原ボーイズに所属。横浜創学館高等学校では3年春の県大会ベスト8が最高成績であり、甲子園出場経験は無し。3年夏は背番号10であり、チームは県大会ベスト16であった。 星槎道都大学へ進学すると、1年春から中継ぎで登板し、3年秋の札幌六大学野球一部リーグでは最高殊勲選手に輝き、チームを優勝に導いた。函館大学との北海道2連盟代表決定戦も制し、第48回明治神宮野球大会に出場すると、創価大学との初戦で公式戦初完封。
佐藤 峻一(さとう しゅんいち、1991年1月8日 - )は… 佐藤 峻一(さとう しゅんいち、1991年1月8日 - )は、北海道常呂郡置戸町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2017年からは社会人野球の日本製鉄室蘭シャークスに所属している。 小学3年生の時に置戸ジャガーズで野球を始める。中学校時代には、外野手を経て、2年生から投手に転向。3年生の時には、北見市の大会で優勝を経験している。 北見柏陽高校へ進学すると、1年夏からベンチ登録。当時から140km/h台のストレートを投げていたという。3年夏の全国高等学校野球選手権北北海道大会では、北見支部予選の初戦から、大会の準々決勝で駒大岩見沢高校に敗れるまで無失点を続けていた。高校の同級生にタレントの菊地亜美(元アイドリング!!!)がいる(菊地は芸能活動のため2年生から上京し、東京都の日出高校へ転校)。
大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、… 大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。改姓したため、現在の本名は北山進。 小学校3年で野球を始め、中学時代は札幌新琴似シニアで三塁手としてプレー。駒澤大学附属苫小牧高校入学後に遊撃手に転向。2学年上に田中将大がいたが、自身は甲子園出場経験無し。1年夏(第88回選手権大会、引き分け再試合の末に準優勝)、2年夏(第89回選手権大会、1回戦敗退)はベンチ外。2年秋からベンチ入りするも、3年夏は南北海道大会の準々決勝で鍵谷陽平擁する北海高校に0-9で敗れた。 道都大学(札幌学生野球連盟所属)では1年時の春から公式戦に出場。3年時には、春・秋連続で遊撃手でベストナインに選出された。
井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京… 井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。現役引退後の2020年からは、星槎道都大学で経営学部経営学科の助教と硬式野球部のコーチを務め、2024年現在は専任講師。 東京大学から日本の独立リーグでのプレーを経験した初めての野球選手。父は映画監督の井坂聡で、父も東京大学野球部の選手だった。 小学生の頃、元東大野球部の父・聡に連れられて、明治神宮野球場で東京六大学野球を観戦したことを切っ掛けに、父と同じく東大野球部に属することを目指すようになる。小学時代はサッカー部だったが、世田谷区立深沢中学校時代から目黒西シニアで外野手として野球を始める。東京都立日比谷高等学校進学後に投手となり、2年生夏の東東京大会では第1戦で加藤正志がエースの東京実業高を相手に延長再試合に持ち込むほどの力投を見せた。
日笠 雅人(ひがさ まさひと、1970年8月19日 - )は… 日笠 雅人(ひがさ まさひと、1970年8月19日 - )は、北海道名寄市出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。 元々右利きで「投げるほうだけ左にコンバートさせられた」という。 旭川龍谷高校時代には、1987年の第59回選抜高等学校野球大会に出場し1回戦で敗退した。 道都大学へと進学したが家庭の事情により2年春で中退し、社会人野球の新日本製鐵君津にて5年間プレー。在籍していた間にチームは1度も都市対抗野球大会に出場できなかったが、日笠自身は他チームへの補強選手として4度の出場を果たしている。チームメイトに松中信彦らがいた。 1995年のプロ野球ドラフト会議において中日ドラゴンズから7位指名を受け入団した。
石川 晃(いしかわ あきら、1961年4月6日 - )は、北… 石川 晃(いしかわ あきら、1961年4月6日 - )は、北海道室蘭市出身(夕張市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)。元千葉ロッテマリーンズ執行役員球団副代表。 登別大谷高から道都大学、日産サニー札幌を経て、1985年オフにドラフト外で南海ホークスにテスト生として入団。俊足巧打の内野手として期待されたが、膝の怪我などもあり、一軍公式戦への出場のないまま3年間で現役を引退。 その後は、福岡ダイエーホークスのスカウトに転身。根本陸夫管理部長の信任が厚く、小久保裕紀・松中信彦・井口資仁ら、アマチュアの大物選手の獲得に敏腕ぶりを発揮した。 2005年に管理部長補佐を最後に退任し、北海道日本ハムファイターズの北海道担当スカウトに転身。