小屋 光雄(こや みつお、慶応2年7月19日(1866年8月… 小屋 光雄(こや みつお、慶応2年7月19日(1866年8月28日) – 昭和17年(1942年)5月16日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→新正倶楽部)。医師。 伊勢国一志郡久居(現在の三重県津市)出身。1888年(明治21年)に大阪医学校を卒業した後、東京帝国大学医科大学と伝染病研究所で学んだ。大阪府警察本部詰医・大阪地方裁判所嘱託医を務めた後、小屋病院を開業し、一志郡医師会長、三重県医師会評議員・議長、大日本医師会評議員などを歴任した。また久居町長、一志郡会議員、同議長、三重県会議員に選出された。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、中勢鉄道株式会社社長、伊勢電気鉄道株式会社取締役などを務めた。
石井 菊次郎(いしい きくじろう、慶応2年旧暦3月10日(1… 石井 菊次郎(いしい きくじろう、慶応2年旧暦3月10日(1866年4月24日)- 1945年(昭和20年)5月25日?)は、日本の外交官、政治家。第2次大隈内閣で外務大臣を務め、国際連盟設立期には日本代表を務めた。特使としてアメリカで締結した石井・ランシング協定にその名を残すことでも知られる。
木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1… 木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1866年1月26日) - 大正14年(1925年)1月9日)は、戦前日本の官僚・政治家。
笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年… 笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本の内務官僚・政治家。貴族院議員。 静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。静岡県立静岡中学校、第一高等学校を経て、1892年、帝国大学法科大学を卒業した。 1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。その後、警保局監獄課長、山形県参事官、岩手県警察部長、高知県書記官、台湾総督府事務官、台南県書記官、岐阜県書記官、新潟県書記官、同県第一部長、熊本県第一部長などを歴任。 1907年1月、岩手県知事に就任。1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。1914年6月、岡山県知事に転じた。
石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4… 石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。 備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。 1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。
細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8… 細野 次郎(ほその じろう、1862年8月27日(文久2年8月3日) - 1916年(大正5年)6月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 上野国佐波郡伊勢崎町(現在の群馬県伊勢崎市)の里正細野時敏と、渋沢栄一の従兄弟である渋沢喜作の姉の次男として生まれる[要出典]。東京帝国大学法科大学選科に学ぶ。鉱山業を営み、群馬県会議員、臨時治水調査会委員、群馬商工銀行、百工商会各(株)監査役となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において群馬県郡部から壬寅会公認でで立候補して初当選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年の第10回衆議院議員総選挙では無所属で立候補してトップ当選した。
斉藤 斐(さいとう あきら、1855年6月28日(安政2年5… 斉藤 斐(さいとう あきら、1855年6月28日(安政2年5月15日) - 1938年(昭和13年)12月9日)は、日本の政治家・実業家。衆議院議員。 1855年(安政2年)に下総国相馬郡守谷町(現:茨城県守谷市)の齋藤家の長男として生まれる。斉藤家は江戸時代の下総国関宿藩領のうち10ヶ村の惣名主を務めた家で、先祖に小林一茶に学んだ俳人斉藤徳左衛門(俳号「若雨」)[要出典]、弟に文学博士である斉藤隆三がいる[要出典]。 1859年(安政6年)頃より守谷町愛宕の私塾で木村正之に学び、1866年(慶応2年)より親戚の中山家に移り、後に東京帝国大学教授になる漢詩人の信夫恕軒や木戸栄伯、盛岡栄三郎に学んだ[要出典]。
濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日〈嘉永2年4月… 濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日〈嘉永2年4月20日〉- 1925年〈大正14年〉9月25日)は、日本の文部官僚、政治家。旧豊岡藩士。位階勲等爵位は従一位勲一等子爵。 文部省専門学務局長、元老院議官、第8代東京帝国大学総長、文部大臣、高等教育会議議長、東宮大夫、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院副議長・議長、内大臣を歴任した。 嘉永2年4月20日(グレゴリオ暦1849年5月12日)、但馬豊岡藩士・濱尾嘉平治の子として、豊岡(現在の兵庫県豊岡市)に生まれる。初名は貞次郎。 1869年(明治2年)9月に藩費遊学制度により、21歳で芝新銭座慶應義塾(現在の慶應義塾大学)に入学する。同窓に、中上川彦次郎、村尾真一、吉村寅太郎、矢野文雄、藤野善蔵、魔野巻蔵、秋山恒太郎、名児耶六都、小林雄七郎、城泉太郎、森下岩楠、坪井仙次郎、後藤牧太、鮫島武之助、日高壮之丞、近藤良薫、田尻稲次郎、穂積寅九郎、永田健助、中村貞吉など)慶應義塾に在学中、慶應義塾の派遣教員となって一時高島学校(藍謝堂)に赴任する。