伊藤 喜久蔵(いとう きくぞう、1919年7月24日 - 2… 伊藤 喜久蔵(いとう きくぞう、1919年7月24日 - 2008年2月27日)は日本のジャーナリスト、中国研究者、中日新聞東京支社記者・論説委員。旧姓は中山。 京都府生まれ。戦前の上海にあった東亜同文書院大学を卒業。 その後中日新聞社に入社し、中日新聞記者として文化大革命当時の中国に駐在し、中国の内情を報道した。1967年2月、1966年度ボーン国際記者賞(現・ボーン・上田記念国際記者賞)を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 196… 魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 1966年3月27日)は、日本の言語学者、中国文学研究者。信濃憂人の別号を持つ。 1910年、大分県玖珠郡北山田村(現・玖珠町)に生まれた。1926年より上海の東亜同文書院に学ぶが、病気のため1929年に中退して帰郷。1933年に文部省検定試験に合格し、英語と支那語の教師資格を取得して東亜学校で教職に就いた。1937年より日華学会理事、NHK嘱託として北京語放送を担当。1939年より東京帝国大学(新制後は東京大学文学部)非常勤講師を27年務めた。戦時中、東京高等師範学校教授。 太平洋戦争後は東洋大学、駒澤大学、東洋大学客員教授として教鞭をとった。
鈴木 択郎(すずき たくろう、1898年7月6日-1981年… 鈴木 択郎(すずき たくろう、1898年7月6日-1981年1月6日 )は、日本の中国研究者。愛知大学名誉教授。 1898年7月6日、栃木県に生まれる。1915年9月、上海の東亜同文書院商務科入学(第15期生)、1918年6月同卒業、江商入社。1920年9月、東亜同文書院助教授。1921年9月、東亜同文書院派遣北京留学(1923年4月まで)。1924年5月、東亜同文書院教授。1939年4月、東亜同文書院大学予科教授。1946年12月、愛知大学(旧制)予科教授。1949年4月、愛知大学(新制)文学部教授。門下生には今泉潤太郎(愛知大学名誉教授)がいる。1955年4月、中日大辞典編纂委員長(1968年4月まで)。
波多野 乾一(はたの けんいち、1890年12月23日 - … 波多野 乾一(はたの けんいち、1890年12月23日 - 1963年12月29日)は、日本の新聞記者、中国研究者、中国演劇(京劇)研究者。 大分県出身。東亜同文書院卒業。1913年、大阪朝日新聞社入社。北京特派員、時事新報社北京特派員。戦後は産業経済新聞論説委員。榛原茂樹の筆名も用いた。