武石 浩玻(たけいし こうは、1884年(明治17年)10月20日 - 1913年(大正2年)5月4日)は日本の飛行家。日本の民間飛行家として最初の航空事故による犠牲者でもある。本名は道之介。 茨城県那珂郡勝田村大字勝倉(現在のひたちなか市勝倉)出身。武石家は水戸佐竹藩の家老職を務めた家柄であったが、水戸徳川家では庄屋に任じられていた。 1902年(明治35年)3月、茨城県尋常中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)の卒業試験を終えるなり卒業式には出ずに、横浜港から海外へ飛び出し、商船のボーイを務めながらヨーロッパへ渡り、更に翌1903年(明治36年)には郷土の代議士・根本正からの紹介状を得て渡米した。
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