吉原 正隆(よしはら まさたか、1881年(明治14年)11月5日 - 1926年(大正15年)6月24日)は、明治末から大正期の政治家。衆議院議員(立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。位階は正五位。勲等は勲三等。 福岡県三潴郡大川町(現在の大川市)出身。1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学経済科を卒業し、さらに大学院で植民政策学を専攻した。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第14回総選挙に至るまで4回連続当選を果たした。その間、野田卯太郎逓信大臣の秘書官を務めた。 1925年(大正14年)福岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し、研究会に所属し死去するまで在任した。
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