高野 松山(たかの しょうざん、1889年(明治22年)5月2日 - 1976年(昭和51年)3月5日)は、日本の漆芸家。熊本県出身。本名は重人。 細川藩付の儒学者であった祖父、小学校の校長であった父の長男として生まれる。幼少時より細工に興味を持ち、熊本の工業徒弟学校で漆芸を学んだ。その後は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)に入学し、東京美術学校(現在の東京芸術大学)へ転校して同校を卒業する。 東京美術学校では帝室技芸員の白山松哉から蒔絵の技術を習得し、松山という号を授かった。のちに細川護立の援助を得て、目白台の細川邸内に住み込んで「昼は殿様のボディーガード、夜間に制作」という生活を送りながら製作活動に挑む。
出典:ウィキペディア「高野松山」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
