赤木 明登(あかぎ あきと、1962年 - )は日本の漆芸家… 赤木 明登(あかぎ あきと、1962年 - )は日本の漆芸家、文筆家、美食家。2023年現在は輪島在住。 岡山県浅口市出身。中央大学文学部哲学科卒業、編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修行。 1994年に独立。現代の暮らしに息づく生活漆器=「ぬりもの」の世界を切り開く。 1997年にドイツ国立美術館「日本の現代塗り物十二人」展、 2000年に東京国立近代美術館「うつわをみる 暮らしに息づく工芸」展 2010年に岡山県立美術館「岡山 美の回廊」展 2012年にオーストリア国立応用美術博物館「もの 質実と簡素」展 2017年に樂翠亭美術館(富山市)「形の素」展、國學院大學博物館「モノの力ヒトの力」展 2019年に「興福寺中金堂楽慶法要献茶道具」を制作「興福寺宝物殿」に収蔵、古川美術館(名古屋市)「茶 祈りと楽しみ」展 2021年に石川県立輪島漆芸美術館「メイドインワジマ」展 2022年に古川美術館(名古屋市) 「形の素」展に出品。
室瀬 和美(むろせ かずみ、1950年(昭和25年)12月2… 室瀬 和美(むろせ かずみ、1950年(昭和25年)12月26日 - )は、日本の男性漆芸家。蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)。東京都出身。父は同じく漆芸家の室瀬春二。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
並木 恒延(なみき つねのぶ、1949年 - )は、日本の漆… 並木 恒延(なみき つねのぶ、1949年 - )は、日本の漆芸家。日本藝術院賞受賞者。 1949年、東京都に生まれる。1973年に東京藝術大学工芸科デザイン専攻を卒業し、1977年に同大学大学院漆芸講座を修了した。修了制作は東京藝術大学買上げとなった。その後、漆芸家の高橋節郎に師事した。2008年には文化庁特別派遣在外研修員としてイタリアに留学した。 蒔絵、螺鈿、卵殻、色漆などの伝統的な漆芸技法を用い、現代的な感性で自然や風景を描く漆絵の作家として紹介される。 1981年、日本現代工芸美術展で現代工芸賞を受賞した。その後も同展で大賞、会員賞、NHK会長賞を受賞した。1987年および1991年に日展特選を受賞し、2006年に日展文部科学大臣賞を受賞した。
三田村 有純(みたむら ありすみ、1949年 - )は、日本… 三田村 有純(みたむら ありすみ、1949年 - )は、日本の漆芸家。東京藝術大学名誉教授。日本藝術院会員。日本藝術院賞受賞者。 1949年、東京都に生まれる。江戸蒔絵赤塚派の家系に生まれ、祖父の八代自芳、父の九代秀芳から漆芸技法を学んだ。1975年、東京藝術大学大学院美術研究科漆芸専攻を修了した。 1978年以降、東京藝術大学で助手、講師、助教授、教授などを歴任し、のちに名誉教授となった。1998年から1999年にかけて、客員研究員として欧州で漆芸調査研究を行った。 三田村家の紹介によれば、三田村は江戸蒔絵赤塚派の伝承を踏まえつつ、金銀漆天目蒔絵という新たな技法も用いながら、独自の世界観を表現してきたとされる。
小森 邦衞(こもり くにえ、1945年2月18日 - ) は… 小森 邦衞(こもり くにえ、1945年2月18日 - ) は、日本の漆芸家である。本名は邦博。髹漆(きゅうしつ)の重要無形文化財保持者(人間国宝)。石川県輪島市出身。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 -… 増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 - )は、日本の漆芸家。かすかべ親善大使。人間国宝(重要無形文化財「髹漆」の保持者)。 1941年(昭和16年)12月1日漆芸家・増村益城(重要無形文化財保持者)の長男として東京都豊島区に生まれる。東京都立豊島高等学校を卒業後、1967年(昭和42年)東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、1969年に大学院美術研究科漆芸専攻を修了した。1982年に東京藝術大学美術学部助手に就任。1990年(平成2年)に助教授へ昇格し、1997年に美術学部教授に就任した。2009年3月に退任し、現在東京藝術大学名誉教授。
前 史雄(まえ ふみお、1940年(昭和15年)8月15日 … 前 史雄(まえ ふみお、1940年(昭和15年)8月15日 - )は、漆芸家。石川県輪島市出身。沈金の重要無形文化財保持者(人間国宝)。 独自に沈金刀を研究し、多様な彫刻技法で知られる。石川県立輪島漆芸技術研修所所長。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - … 北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - 2023年7月7日)は、漆芸家。元奈良文化女子短期大学客員教授。螺鈿の重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名、北村謙一。 1938年、漆芸家の北村大通の長男として奈良県に生まれる。東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、早川電機工業(現在のシャープ)工業デザイン部門を経て、父のもとで漆芸の制作と文化財修理を行う。1998年、紫綬褒章受章。1999年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2008年、旭日小綬章受章。 2023年7月7日、クモ膜下出血のため、奈良市の自宅で死去した。85歳没。 紫綬褒章、文部大臣賞、日本工芸会賞、朝日新聞社賞他。
頭川 政始(ずかわ まさし、1933年(昭和8年) – 19… 頭川 政始(ずかわ まさし、1933年(昭和8年) – 1993年(平成5年))は、昭和時代から平成時代にかけての洋画家、漆芸家。富山5人展の一人、通称「闇の作家」。 富山県高岡市に生まれる。漆芸家の山崎立山に師事。1957年第13回日展に「初秋」(工芸)で初入選。金沢美術工芸大学工業デザイン科卒業後、1962年漆芸から画家に転身する。1969年から1988年まで「5人展」に出品。1989年に筋萎縮性側索硬化症を発症し、1993年に逝去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
井波 唯志(いなみ ただし、1923年3月10日 - 201… 井波 唯志(いなみ ただし、1923年3月10日 - 2011年1月25日)は、日本の漆芸家。加賀蒔絵の系譜に学びつつ、日展を主たる発表の場として活動し、作品「晴礁」により日本芸術院賞を受賞した。 石川県金沢市に生まれ、代々加賀蒔絵を営む家に育った。伝統的な漆芸技法を基盤としながら、日展を中心に漆屏風や漆芸額などを発表し、抽象性を帯びた現代的な作風で評価を受けた。 1923年、金沢市に生まれる。本名は忠。父は二代目喜六斎で、井波はその長男であった。1944年、東京美術学校附属文部省工芸技術講習所を卒業した。在学中には漆芸を山崎覚太郎に、陶芸を加藤土師萌と富本憲吉に学んだとされる。 卒業後は父から加賀蒔絵の技術を学んだが、活動の中心は日本工芸会ではなく、日展および日本現代工芸美術展に置かれた。
武石 勇(たけいし いさむ、1920年7月1日 - 1995… 武石 勇(たけいし いさむ、1920年7月1日 - 1995年)は日本の漆芸家、漆絵作家。漆を用いた様々な作品を残した。 1920年(大正9年)大阪府に生まれる。1933年(昭和8年)大阪市立天王寺尋常高等小学校卒業後、大阪市立工芸学校へ進み木材工芸技術を習得。第二次世界大戦後に復員し、茨木市で創作活動を始める。日展に入選したほか、第17回日ソ展にも入選し、入選作はソビエト連邦政府買い上げとなった。1965年(昭和40年)茨木市より文化功労者表彰、1971年(昭和46年)大阪府工芸功労賞。1995年(平成7年)茨木市にて死去。75歳。 2021年(令和3年)、茨木市の茨木市立川端康成文学館にて企画展「生誕100年 武石勇 漆の世界」が開催された。
三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 201… 三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 2017年7月12日)は、日本の漆芸家。位階は正四位。勲等は勲四等。日本芸術院会員、文化功労者。本名は三谷 伍市(みたに ごいち)。 社団法人日展理事、社団法人現代工芸美術家協会常務理事、輪島塗技術保存会副会長などを歴任した。 石川県の現輪島市(当時の鳳至郡)出身。本名・伍市。 1933年、14歳で沈金師・蕨舞洲に師事、1938年前大峰に師事、1941年沈金職人として独立。 1942年新文展出品の「沈金漆筥」が初入選、1965年日本現代工芸美術展出品の「飛翔」が現代工芸大賞読売新聞社賞受賞、1966年日展出品の「集」が特選北斗賞受賞、1970年改組日展出品の「翼」が特選北斗賞受賞、1977年輪島塗技術保存会会員となる。
大場 松魚(おおば しょうぎょ、1916年(大正5年)3月1… 大場 松魚(おおば しょうぎょ、1916年(大正5年)3月15日 - 2012年(平成24年)6月21日)は、漆芸家。蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)。金沢美術工芸大学名誉教授、金沢市名誉市民。石川県金沢市出身。本名、勝雄。 石川県立工業学校卒業。父の大場宗秀に10年間学んだ後、昭和18年上京し、松田権六の内弟子となり2年間師事。 伊勢神宮式年遷宮御神宝「御鏡箱・御太刀鞘」(昭和27年及び47年)、中尊寺金色堂の保存修理(昭和39年)に従事したことが端緒となり、本格的な平文の技法に取り組んだ。 1978年に紫綬褒章を受ける。 1982年(昭和57年)4月20日には人間国宝に認定される。 フランスでクリスタルガラスとの融合など、新しい枠組みにも取り組んだ。
辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 199… 辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 1992年9月17日)は、日本の漆芸家。日展参事。日展出品作「装飾画、雲連作の六『クノサス』」により日本芸術院賞を受賞した。 旧満洲ハルビン市に生まれる。青山学院を経て、1939年に東京美術学校工芸科漆工部を卒業した。在学中の1938年、春台美術展に「文庫」、光風会展に「花器」で初入選した。翌年には実在工芸展に出品し、新工芸運動にも参加した。 1940年に東京都工芸展「蛾の踊り」で知事賞を受賞し、1943年には光風会会員となった。戦後は1948年に型々工芸、1950年には洋和会を主宰し、建築物と結びついた壁面装飾に漆工家としての新しい方向を求めた。
髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:… 髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、1938年東京美術学校工芸科漆工部卒業。日本芸術院会員、文化勲章受章者、文化功労者、日展顧問。
佐治 賢使(さじ ただし、1914年〈大正3年〉1月1日 -… 佐治 賢使(さじ ただし、1914年〈大正3年〉1月1日 - 1999年〈平成11年〉6月14日)は、漆芸家。岐阜県多治見市出身。本名は正。市川市名誉市民。位階は従三位。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
番浦 省吾(ばんうら しょうご、1901年2月24日 - 1… 番浦 省吾(ばんうら しょうご、1901年2月24日 - 1982年10月15日)は、日本の漆芸家。日展参事。第5回日展出品作「象潮」により日本芸術院賞を受賞した。 石川県七尾市に生まれる。七尾尋常高等小学校を卒業し、初め画家を志したが、1921年より蒔絵の技術を習得して漆芸の道に入った。1924年頃に京都に移り、1930年の第11回帝展に「秋之夜蒔絵棚」が初入選した。1936年の文展鑑査展では「草花図彩漆衝立」が選奨となり、1937年のパリ万国博覧会では名誉賞を受賞した。 戦後は1945年に漆芸団体創人社を結成して主宰し、1953年には新たに朱玄会を結成した。日展では1947年の第3回日展以後たびたび審査員を務め、1949年より依嘱出品、1958年評議員、1962年会員、1971年理事、1976年参与、1980年参事となった。
山崎 覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 -… 山崎 覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 - 1984年3月1日)は、漆芸家。富山県出身。 1924年(大正13年)東京美術学校漆工科卒。1925年(大正15年)パリ万国博覧会で金賞。1928年(昭和3年)より東京美術学校助教授、のち東京芸術大学教授を務める。 1939年(昭和14年)文展審査員、1946年(昭和21年)日展審査員、1950年(昭和25年)日展運営会参事、1954年(昭和29年)日本芸術院賞受賞。帝展特選受賞。 1957年(昭和32年)日本芸術院会員、1958年(昭和33年)日展常務理事。同年、第一回日本美術展覧会が東京都美術館で開催され、昭和天皇、香淳皇后が行幸啓。
音丸 耕堂(おとまる こうどう、1898年(明治31年)6月… 音丸 耕堂(おとまる こうどう、1898年(明治31年)6月15日 - 1997年(平成9年)9月8日)は、日本の漆芸家である。本名:芳雄。本姓は木村。 香川県高松市の生まれ。石井磬堂の門下となり、「讃岐彫」と呼ばれる木彫や彫漆を学んだ。その後独立し、玉楮象谷の作風を研究した後にこの作風を模して作成した漆器を多く作成する。その後は東京に移住し、1942年(昭和17年)に開催された第5回文展にて音丸の作品が出品された。 後に自身の作風は現代風を取り入れた玉手箱等、彫漆の作風に新しく取り入れたものにより、1955年(昭和30年)に「彫漆」分野として人間国宝(重要無形文化財)に認定された。その後は多くの門下を輩出し、1982年(昭和57年)に門下の育成によって「公益信託音丸漆芸奨励基金」の創設に携わった。
溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1896年(明治29年)8月… 溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1896年(明治29年)8月10日 - 1973年(昭和48年)1月1日)は、日本の美術史家、漆工研究家、漆芸家。東京国立博物館工芸課長。 東京府で伯爵・溝口直正の八男として生まれ、叔父・溝口武五郎の養子となる。1916年(大正5年)東京美術学校漆工科本科を卒業し、同研究科に進み漆芸史の研究を行い1921年(大正10年)に修了した。 舞台美術家として築地小劇場に参加した。その後、漆工品の修理・模造を担い、国宝の扇散蒔絵手箱、籬菊蒔絵硯箱、舟橋蒔絵硯箱の模造で知られた。 1928年(昭和3年)東京帝室博物館(現東京国立博物館)嘱託となり、戦後も引き続いて勤務し漆工史の研究を行った。
吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 … 吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 - 1958年4月4日)は、高知県出身の日本の漆芸家。 1896年(明治29年)3月20日、高知県安芸町(現安芸市)に生まれる。石井吉次郎(別名、石井士口)に師事し漆芸を学んだ。1919年(大正8年)東京美術学校(現東京芸術大学)漆工科選科修了。 1921年(大正10年)東京の上野で開催された平和博覧会に作品を出品、これが注目を集めた。 以後、1928年(昭和3年)、第9回帝展(現日展)で「麦の棚」が初入選、1930年(昭和5年)第11回展「泉の衝立」および1933年(昭和8年)第14回展「トマトの図棚」が特選受賞、1937年(昭和12年)第1回文展(現日展)および1942年(昭和17年)第5回、1943年(昭和18年)第6回で文展審査員を務め、昭和17年度第6回文展出品作品である「梅蒔絵飾棚」は第2回帝国芸術院賞(現日本芸術院賞)を受賞している。
高野 松山(たかの しょうざん、1889年(明治22年)5月… 高野 松山(たかの しょうざん、1889年(明治22年)5月2日 - 1976年(昭和51年)3月5日)は、日本の漆芸家。熊本県出身。本名は重人。 細川藩付の儒学者であった祖父、小学校の校長であった父の長男として生まれる。幼少時より細工に興味を持ち、熊本の工業徒弟学校で漆芸を学んだ。その後は京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)に入学し、東京美術学校(現在の東京芸術大学)へ転校して同校を卒業する。 東京美術学校では帝室技芸員の白山松哉から蒔絵の技術を習得し、松山という号を授かった。のちに細川護立の援助を得て、目白台の細川邸内に住み込んで「昼は殿様のボディーガード、夜間に制作」という生活を送りながら製作活動に挑む。
磯井 如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月1… 磯井 如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月19日 - 1964年(昭和39年)8月23日)は、日本の漆芸家。本名は雪衛(ゆきえ)、あらため雪枝。 香川県高松市出身。香川県立工芸学校(現、香川県立高松工芸高等学校)を卒業後、大阪山中商会で中国漆器の修理などに携わり、技術を習得した。1909年に高松に戻り、製法が絶えて久しかった香川漆器を独自研究を重ねて復興し、近代化を確立した。讃岐漆芸の中興の祖と称される。母校の工芸学校や工芸研究所で後進の育成にもあたっている。1936年(昭和11年)の文展(帝展の代わりに開催)に出品した「漆サボテンにホロホロ鳥飾棚」で選奨を受賞。1953年(昭和28年)には岡山大学教授に就任。
鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - … 鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - 昭和18年(1943年))は、明治から昭和にかけての漆芸家。京塗表派の承継者。 鈴木表朔は、明治7年(1874年)に現在の滋賀県高島市安曇川町に生まれた。幼名井上捨吉と称し、明治17年(1884年)頃京都に出て、蒔絵師鈴木長真の養子となり鈴木表朔を名乗るが、後に髹漆(きゅうしつ)に転じ二代木村表斎に師事した。 表朔の塗り技術への評価は高かく、明治42年(1909年)伊勢神宮の神宝、また大正2年(1911年)御大礼に際して高御座、御帳台、万歳幡の塗を担当した。大正5年(1916年)には内務省御用となった。 京都で活発に活動し、大正8年(1919年)には、神坂雪佳主宰の佳都美村に参画し、意欲的に漆器の創作にも携わった。
赤塚 自得(あかつか じとく、1871年4月21日(明治4年… 赤塚 自得(あかつか じとく、1871年4月21日(明治4年3月2日) - 1936年(昭和11年)2月1日)は日本の漆芸家、専門は蒔絵、本名は平左衛門。 東京市芝区浜松町、代々漆芸の家系に生まれる。勧学義塾に学びながら狩野久信に日本画、蒔絵を師事、のち寺崎広業に師事し、白馬会で洋画も学ぶ。 作品の発表先を求めて1925年に金工家の香取秀真、陶芸家の板谷波山らと工芸済々会を結成。 1927年には第8回帝国美術院展覧会で漆工の審査委員を務め、1930年、帝国美術院会員となる。 伝統を踏まえながらも自らの創意で自然を描き、漆芸の近代化を進め、大正・昭和初期の漆芸界で指導的役割を果たした。 1936年、65歳で死去。
小川 松民(おがわ しょうみん、1847年6月8日(弘化4年… 小川 松民(おがわ しょうみん、1847年6月8日(弘化4年4月25日)- 1891年(明治24年)5月29日)は、明治時代の漆芸家。本名は繁次郎。 江戸の日本橋に金具師であった小川忠蔵の子として生まれる。1862年(文久2年)に中山胡民の門人となり蒔絵を学んだ。後に池田孤村の門人となり、尾形光琳の画風を学ぶ。この経験を活かし、古作の蒔絵を模造した漆器の制作にあたった。 明治維新後の1870年(明治3年)に独立して、浅草馬道町に転じる。1876年(明治9年)に開催されたフィラデルフィア万博に出品し視察するために渡米した。帰国後は再度蒔絵を使用した漆器の制作にあたり、1877年(明治10年)に開催された第1回内国勧業博覧会には松民の作品が出品された。
三代目 鈴木表朔(さんだいめ すずき ひょうさく、1932(… 三代目 鈴木表朔(さんだいめ すずき ひょうさく、1932(昭和7)年 - 2013(平成25)年は、京都を代表する漆芸家。伝統的な器物や茶道具類を制作する一方で、透明なアクリル樹脂に不透明な漆を塗り重ね、異なる素材の特性を活かした漆塗の新たな可能性を追求した。本名は鈴木雅也(すずき まさや)。 鈴木貞次(二代表朔)の長男として京都市に生まれた。祖父の初代表朔(1874-1943年)、父の二代表朔(1905-1991年)と続く京塗師 表派(ひょうは)の系統であり、幼い頃から父に塗りの基本を学んだ。1944(昭和19)年に京都市立日吉ヶ丘高等学校(現、京都市立銅駝美術工芸高等学校)漆工科に入学し、卒業制作では第1席(学校賞)を受賞。