スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川邉 亮平(かわべ りょうへい、1995年3月12日 - )… 川邉 亮平(かわべ りょうへい、1995年3月12日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。富山県砺波市出身。 高岡工芸高校から白鷗大学へ進み、2017年2月にレバンガ北海道と契約。2020年10月山形ワイヴァンズに移籍。 PGからPFまでをこなせる器用な選手。188cmと特別大きい訳ではないが、巧みなポジショニングでリバウンドに絡む。また、パスを捌くのも得意としている。しかし、3ポイント成功率はそれほど高くない。 2022-23シーズンよりさいたまブロンコスに移籍。
小杉 史哉(こすぎ ふみや、1990年2月8日 - )は、日… 小杉 史哉(こすぎ ふみや、1990年2月8日 - )は、日本の元男性声優。富山県出身、青二プロダクションに所属していた。 富山県立高岡工芸高等学校卒業。 アミューズメントメディア総合学院卒業後に青二プロダクション所属。 2015年末を以って青二プロダクションを退所。声優業としては担当している番組のみで活動するという旨を公表。 趣味には食べ歩きとスポーツ観戦、特技には柔道と物真似をそれぞれ挙げている。 声優になろうと思ったきっかけは、視聴していた『ドラゴンボールZ』で演技に圧倒され、「声優さんってすごいな。僕もやってみたい。」と思ったことから。
平田 典靖(ひらた のりやす、1983年11月17日 - )… 平田 典靖(ひらた のりやす、1983年11月17日 - )は、富山県東礪波郡利賀村(現南砺市)出身のバドミントン選手。バドミントン日本代表ナショナルチームに選出されている。富山県南砺市立利賀中学校、富山県立高岡工芸高等学校、日本体育大学卒業。 富山県利賀村(現南砺市)に生まれる。 小学校時代は、野球に夢中だった。中学時代は、バドミントン部しかない小規模の学校だったためそのまま入部。中学3年生で県大会シングルス優勝。 高校時代は、ダブルスで前衛として大活躍をする。高校2年生で米隆夫(元トナミ運輸)と組んでインターハイで3位に。また、高校選抜で劉志遠と組んで全国優勝。 大学生時代は、日本体育大学で活躍。
津野 裕子(つの ゆうこ、1966年2月5日 - )は、日本… 津野 裕子(つの ゆうこ、1966年2月5日 - )は、日本の漫画家、同人作家。 富山県高岡市出身。富山県立高岡工芸高等学校デザイン科卒業。 1966年2月5日、富山県高岡市に生まれる。子供のころから絵を描くのが好きであり、富山県立高岡工芸高等学校デザイン科在籍時では、同人作家としても活動し、同級生と同人誌を作っていた。 高校卒業後に服飾メーカーに就職したが、絵の道に進もうと思い、1年半で退社。1986年、『ガロ』(青林堂)に「冷蔵庫」が掲載され、デビューを果たす。ほぼ同時期に『別冊マーガレット』(集英社)でもデビューした。1年半ほどアルバイトなどをしながら漫画を描く生活を続けた後、地元の広告会社に就職する。
松原 秀典(まつばら ひでのり、1965年11月15日 - … 松原 秀典(まつばら ひでのり、1965年11月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター。富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)出身。5歳より高岡市在住。元・ガイナックス所属、現所属はカラー。別名義に、ピエール松原やヒデ松原がある。既婚、現在東京都在住中。 主な代表作は、『サクラ大戦』『ああっ女神さまっ』など。ガイナックスでアニメーターとして頭角を現し、キャラクターデザイナーとしてその才能を開花させた。ガイナックス退社後も様々な作品にキャラクターデザイン・作画監督・原画などで参加する。「サクラ大戦シリーズ」以降は、ゲーム関係の仕事にも多数携わっている。 2001年8月には、初の個展「サクラ大戦松原秀典原画展」を渋谷で開催した。
まつもと 泉(まつもと いずみ、本名:寺嶋 一弥〈てらしま … まつもと 泉(まつもと いずみ、本名:寺嶋 一弥〈てらしま かずや〉、1958年10月13日 - 2020年10月6日)は、日本の男性漫画家。富山県高岡市生まれ。富山県立高岡工芸高等学校卒業。 高校卒業後、ロックミュージシャンを目指して上京する。パートはドラムス。無類のロック好きで、シンガーソングライターの杉真理、ジェネシス、TOTOの大ファンである。しかし、楽譜が読めなかったこともあってミュージシャンは断念し、デザイン専門学校に入学する。 専門学校在学中、高校時代の友人と2人で漫画作品を描き、いくつかの出版社に持ち込みをした。「まつもと泉」のペンネームは、当初はユニットとして、高校時代の同級生の友人と2人で組んで活動を始めたため、それぞれが「松本」「いずみ」と語感の好きな名前を出し合い、そのままでは前者は硬すぎる印象で、後者は女性的な印象なので漢字とひらがなを逆にして決定した。
佐竹美保(さたけ みほ、1957年3月3日 - )は、富山県… 佐竹美保(さたけ みほ、1957年3月3日 - )は、富山県出身の画家。 1975年に富山県立高岡工芸高等学校デザイン科を卒業、翌年上京する。雑誌「奇想天外」で挿絵画家としてデビュー。主に児童書の挿絵を担当し、SFやファンタジーの分野で活動している。『魔法使いハウルと火の悪魔』(ダイアナ・ウィン ジョーンズ作)、『魔女の宅急便』(角野栄子作、その3以降を担当)など、よく知られた児童文学作品の数々の表紙や挿絵を描いている。
田畑 功(たばた いさお、1955年 - )は日本の彫刻家。… 田畑 功(たばた いさお、1955年 - )は日本の彫刻家。富山県高岡市出身。富山県立高岡工芸高等学校デザイン科卒。日展会員/審査員2回、日本彫刻会会員/審査員3回/運営委員。芸術院会員の雨宮淳に師事。2003年に西望賞受賞。作品の多くは人物像・動物像・仏像。また、田畑が制作した有名人・著名人・有名馬牛の像は全国各地に1千体余り存在する。 カッコ内は設置場所。
市山 貴章(いちやま きしょう、1950年12月2日 - )… 市山 貴章(いちやま きしょう、1950年12月2日 - )は、富山県高岡市出身の俳優。本名は佐藤登、旧芸名は市山登。所属は株式会社クレオ。 血液型はA型。身長173cm、体重65kg、バスト95cm、ウェスト79cm、ヒップ90cm、靴のサイズ26cm。 富山県立高岡工芸高等学校卒業後、上京しタレント養成所入所。1976年、NHK総合『シリーズ人間模様 妻たちの二・二六事件』の中尉役でデビュー。 趣味は競馬、ゴルフ。
藤森 兼明(ふじもり かねあき、1935年 - )は、日本の… 藤森 兼明(ふじもり かねあき、1935年 - )は、日本の洋画家。富山県砺波市出身。 日展内閣総理大臣賞・芸術院賞受賞。日展顧問、光風会理事長、金沢美術工芸大学非常勤講師、日本芸術院会員。
藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年… 藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒業。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。 数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)と共に藤子不二雄として活動した。 代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。
辛 光洙(シン・グヮンス、シン・グァンス、1929年〈昭和4… 辛 光洙(シン・グヮンス、シン・グァンス、1929年〈昭和4年〉6月27日 - )は、韓国の政治犯。日本人拉致に関わった北朝鮮の工作員である。通称「坂本(さかもと)」。1978年に福井県若狭に住む若い男女地村保志と妻の富貴恵を拉致した実行犯で、1980年に原敕晁を拉致し、戸籍を横領して「原敕晁」名義の運転免許証や旅券を取得してなりすまし、日本や韓国で工作活動を行った。 1929年(昭和4年)に静岡県浜名郡新居町(現・湖西市)で、土木作業員の辛チョンダルを父に、徐ミョンダムを母に五男二女の五男として生まれた。幼少期の日本名は「立山 富蔵」(たてやま とみぞう)で、のちに兵庫県尼崎市へ一家で移住して立花第一尋常小学校に入学する。
十二町 仁三(じゅうにちょう じんぞう、大正15年(1926… 十二町 仁三(じゅうにちょう じんぞう、大正15年(1926年)5月7日 – 平成12年(2000年)12月)は、昭和から平成前期時代の日本画家。日本芸術院特待、院展富山支部代表、富山県日本画家連盟委員、富山県展実行委員を歴任。 大正15年(1926年)富山県高岡市に生まれる。富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)を経て、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)で学ぶ。1952年富山県染織試験場に勤務し、1955年小倉遊亀に師事し日本画を描き始め、1957年には安田靫彦門下の火燿会に入会して画技に励む。1959年、院展に「店」で初入選。以後、院展を中心に制作を続ける。2000年12月没。
滝田 実(たきた みのる、1912年 <大正元年> 12月1… 滝田 実(たきた みのる、1912年 <大正元年> 12月15日 - 2000年 <平成12年> 12月9日)は、昭和から平成時代の労働運動家。ゼンセン同盟名誉会長。全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)第3代会長、全日本労働組合会議(全労)初代議長、全日本労働総同盟(同盟)第2代会長。位階は従三位。 富山県射水郡小杉町(現射水市三ケ)生まれ。1931年富山県立工芸学校機械電気科卒、日清紡績に入社。戦後、松岡駒吉と出会い労働運動に入る。1946年4月日清紡績労働組合結成とともに副組合長。同年7月全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)結成に参加、中執委員。1948年5月全繊同盟会長。同年日清紡績労働組合組合長。
櫻井 鴻有(さくらい こうゆう、1906年(明治39年) –… 櫻井 鴻有(さくらい こうゆう、1906年(明治39年) – 1960年(昭和35年))は、昭和時代の日本画家。生涯にわたり立山を主題に描き続けた。 富山県高岡市に生まれる。富山県立工芸学校図案科(現・富山県立高岡工芸高等学校)を経て、1927年京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学、後に同校研究科に進む。1930年第11回帝展に「北越山村」で初入選、以後同展、新文展に出品。1945年高岡に疎開。以後、郷土で日本画の発展に尽力した。
青井 忠治(あおい ちゅうじ、1904年〈明治37年〉3月3… 青井 忠治(あおい ちゅうじ、1904年〈明治37年〉3月30日 - 1975年〈昭和50年〉8月18日)は、日本の実業家。株式会社丸井 (OIOI)の創業者。 丸井グループ名誉会長青井忠雄は長男。元NHKアナウンサーの青井実は孫。 生家は富山県小杉の旧家の分家で、一人息子として生まれる。1歳の時に父の事業破綻により母と引き離され、2歳ではしかのため左眼を失明。10歳で他家に嫁した母を、11歳で結核を病んで床に臥していた父を失う。 1922年(大正11年)富山県立工芸学校(現在の高岡工芸高校)を卒業して上京、月賦販売商・丸二商会に入社。瞬く間に頭角を現し、1924年(大正13年)大塚店長、1925年(大正14年)本店の集金部長、1928年(昭和3年)中野店長、1930年(昭和5年)1月浅草店長、7月九段店長を歴任。
篁 牛人(たかむら ぎゅうじん、明治34年(1901年)10… 篁 牛人(たかむら ぎゅうじん、明治34年(1901年)10月10日 - 昭和59年(1984年)2月25日)は、昭和時代の日本画家。幼名は光磨。本名は浄信。 1901年、富山県婦負郡桜谷村大字石坂村(現:富山県富山市石坂)に生まれる。1921年、富山県立工芸学校(現:富山県立高岡工芸高等学校)を卒業、同校卒業生で組織する富山工芸会に参加。工芸作品の図案を制作し商工省工芸展などで中島杢堂、安川慶一らと受賞を重ねるが、1934年頃からパブロ・ピカソ、藤田嗣治、小杉放庵などの感化を受け、1940年頃より絵画に専念し始める。太平洋戦争末期の1944年、応召して東南アジアに赴き転戦。復員後の1947年頃から、独自の渇筆技法で制作を行い、主題を東洋思想に求めた。
松村 外次郎(まつむら そとじろう、1901年〈明治34年〉… 松村 外次郎(まつむら そとじろう、1901年〈明治34年〉9月17日 - 1990年〈平成2年〉6月20日)は、大正時代から平成時代にかけての彫刻家。元二紀会副理事長、同会名誉会員。 富山県東礪波郡青島村(現在の砺波市庄川町青島)に生まれる。富山県立工芸高校(現・富山県立高岡工芸高等学校)卒業後、上京して吉田白嶺の内弟子となる。1923年、第10回院展に「女」で初入選。翌年、東京美術学校彫刻科に入学。在学中から二科展に出品。1927年第14回二科展より1930年第17回二科展まで連続入選、東京美術学校卒業後は1931年より約2年間パリへ留学。帰国後1936年に二科会会員として迎えられるが1944年退会。
小坂 勝人(こさか かつんど、1901年(明治34年) – … 小坂 勝人(こさか かつんど、1901年(明治34年) – 1953年(昭和28年))は大正時代から昭和時代前期にかけての日本画家。 富山県高岡市国吉に生まれる。富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)卒業後、東京美術学校日本画科、同校研究科で学ぶ。結城素明に師事。1926年第7回帝展「海景」で初入選、以後同展、新文展、日展に作品を発表する。戦禍を避けて城端町に疎開し、戦後は富山県日本画家連盟の設立等に尽力した。
山崎 覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 -… 山崎 覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 - 1984年3月1日)は、漆芸家。富山県出身。 1924年(大正13年)東京美術学校漆工科卒。1925年(大正15年)パリ万国博覧会で金賞。1928年(昭和3年)より東京美術学校助教授、のち東京芸術大学教授を務める。 1939年(昭和14年)文展審査員、1946年(昭和21年)日展審査員、1950年(昭和25年)日展運営会参事、1954年(昭和29年)日本芸術院賞受賞。帝展特選受賞。 1957年(昭和32年)日本芸術院会員、1958年(昭和33年)日展常務理事。同年、第一回日本美術展覧会が東京都美術館で開催され、昭和天皇、香淳皇后が行幸啓。
郷倉 千靱(ごうくら せんじん、1892年3月3日 - 19… 郷倉 千靱(ごうくら せんじん、1892年3月3日 - 1975年10月25日)は、日本画家、日本芸術院会員。 富山県小杉町出身。本名・與作。1915年東京美術学校日本画科卒業、1916年渡米、1922年院展日本美術院賞受賞、1924年日本美術院同人、院展に出品を続け、1934年帝国美術学校日本画科教授、1936年多摩美術学校日本画科教授、1949年日展審査員、1956年多摩美術大学教授、1958年日本美術院評議員、1960年日本芸術院賞受賞、1971年勲四等旭日小綬章受章、1972年日本芸術院会員。没後勲三等瑞宝章追贈。 壁画を描いた。長女の郷倉和子も日本芸術院会員。
長谷川 義起(はせがわ よしおき、1892年3月3日 - 1… 長谷川 義起(はせがわ よしおき、1892年3月3日 - 1974年2月20日)は、日本の彫刻家。特に相撲をテーマにした作品を得意とした。本名・勝之。 富山県射水郡大島村(現在の射水市)に生まれた。1910年(明治43年)に富山県立工芸学校(現在の富山県立高岡工芸高等学校)、1915年(大正4年)に東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科本科塑造部を卒業した。1920年(大正9年)の第2回帝展に「露光」が初入選してから連続入選を重ねた。1930年(昭和5年)の第12回帝展において「円盤」が推薦となり、以後無鑑査出品となった。 日展審員、日本彫塑家クラブ理事、日本陶彫会委員長、北陽美術会理事などを歴任した。
佐々木 大樹(ささき たいじゅ、1889年12月25日 - … 佐々木 大樹(ささき たいじゅ、1889年12月25日 - 1978年11月8日)は、日本の彫刻家。 1889年、富山県下新川郡愛本村大字音沢村(現在の黒部市宇奈月町音沢)生まれ。本名、長次郎。黒難温泉を経営する裕福な家庭に生まれ、男女7人兄妹の下から2番目の子であった。 富山県立工芸学校(現在の高岡工芸高等学校)を経て、1914年、東京美術学校彫刻科本科彫部卒業。1920年、第2回帝国美術院展覧会に出品した「誕生の頃」が特選に選ばれ、1929年には「紫津久」で帝国美術院賞を受賞した。1935年、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の教授となる。1937年、ヘレン・ケラーに塙保己一の像を贈る。1951年、多摩美術大学教授。
濱谷 白雨(はまや はくう、明治19年1月28日(1886年… 濱谷 白雨(はまや はくう、明治19年1月28日(1886年) – 昭和40年(1965年)5月9日)は、大正から昭和前期時代にかけての日本画家。本名栄次郎。帝国絵画協会、国民美術協会評議員を歴任。 1886年(明治19年)富山県婦負郡四方町(現富山市)に生まれる。1900年富山県工芸学校(現富山県立高岡工芸高等学校)へ入学、1902年中島秋圃が同校に赴任すると秋圃宅に下宿して日本画の教授を受ける。1905年東京美術学校日本画科に進み、寒声の号で雑誌の挿絵を画く。1910年同校師範科に進む。当初は結城素明、後に紹介推薦で川端玉章の門に入るも画風に疑問をもち脱退する。その後寺崎広業に師事し、和漢の古画の模写に努める。
塩崎 逸陵(しおざき いつりょう、1884年(明治17年) … 塩崎 逸陵(しおざき いつりょう、1884年(明治17年) – 1974年(昭和49年))は、大正時代から昭和時代にかけての日本画家。 富山県高岡市に生まれる。富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)を卒業後、東京美術学校に学び、川端玉章、寺崎広業に師事する。1915年第9回文展に「蟲の音」で初入選。以後、同展および帝展に出品。東京で制作に励み、花鳥図や風景画を描いた。
中島 秋圃 (なかしま しゅうほ、明治11年(1878年)7… 中島 秋圃 (なかしま しゅうほ、明治11年(1878年)7月5日 - 昭和36年(1961年)11月30日)は、明治時代から昭和にかけて活躍した四条派の日本画家。 東京四谷で、旧佐賀藩士の司法省検事・中島盛有(藤次郎)の長男として生まれる。本名・次郎。明治35年(1902年)7月に東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)日本画科を卒業。秋圃は川端玉章に師事し円山派を学ぶ。納富介次郎の勧誘で、あるいは定塚武敏『富山の美と心』(桂書房、1990年)に録された次郎の長女・久栄の証言によれば、父と同じく佐賀出身の大隈重信より『三年のみ』と勧められ、同年7月に富山県高岡市の県立工芸高校(現・富山県立高岡工芸高等学校)に赴任する。
金森 映井智 は、日本の彫金作家。象嵌(ぞうがん)技術を時代… 金森 映井智 は、日本の彫金作家。象嵌(ぞうがん)技術を時代に合わせた重厚な作風で知られるようになる。重要無形文化財保持者(人間国宝)。座右の銘は、生涯現役。
大角 勲 は、日本の工芸家・鋳金家。富山県出身。高岡工芸高等… 大角 勲 は、日本の工芸家・鋳金家。富山県出身。高岡工芸高等学校を卒業し、高岡の金工技術を背景に活動した。自然と人間の共生を主題とする作品で知られ、2003年に日本芸術院賞を受賞した。
松村 文夫 は、細胞生物学者。細胞分裂における細胞骨格関連タ… 松村 文夫 は、細胞生物学者。細胞分裂における細胞骨格関連タンパク質のリン酸化の研究で著名。日本の大学・大学院出身で、30歳前後に渡米し、1995年からアメリカ合衆国のラトガース大学・教授(分子生物学・生化学)。理学博士。秦野節司の直弟子。