スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
道井 淳平(みちい じゅんぺい、1997年11月19日 - … 道井 淳平(みちい じゅんぺい、1997年11月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 石川県河北郡出身。7歳の頃、ワールドカップの影響を受けてバレーボールを始める。 石川県立工業高等学校、日本体育大学を経て、2019年、V.LEAGUE DIVISION1(V1)に所属するジェイテクトSTINGSの内定選手となる。 2020年、大学卒業後、ジェイテクトSTINGSに入団。2シーズン目の2021-22シーズンでV1デビューを果たし、シーズンを通して4本のノータッチエースを決めた。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。6月2日に引退選手として公示。6月5日にPFUブルーキャッツ石川かほくのコーチ就任が発表された。
波佐間 泰平(はざま たいへい、1997年4月8日 - )は… 波佐間 泰平(はざま たいへい、1997年4月8日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 石川県金沢市出身。親と兄の影響で小学2年生からバレーボールを始める。 石川県立工業高等学校、富山大学を経て、2019/20シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属するVC長野トライデンツの内定選手となった。内定選手としてV1の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2020年、大学卒業後に、VC長野トライデンツに入団した。 2025年4月、2024-25シーズン限りでの契約満了が発表された。5月21日に自由交渉選手として公示。8月に信州ブリリアントアリーズのコーチ就任が発表された。
新 貴裕(しん たかひろ、1991年8月10日 - )は、日… 新 貴裕(しん たかひろ、1991年8月10日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 石川県白山市出身。バレーボールをしていた母親の影響を受けてバレーボールを始める。 石川県立工業高等学校、明治大学を経て、2013年、V・チャレンジリーグ(当時2部リーグ)・富士通カワサキレッドスピリッツの内定選手となる。2016/17シーズンに敢闘賞、2017/18シーズンに最高殊勲選手賞をそれぞれ受賞した。 2018年にV1リーグのパナソニックパンサーズに移籍。 2022年、日本代表登録メンバーに選出された。 2022年11月5日、V1男子の大分三好ヴァイセアドラー戦(パナソニックアリーナ)でVリーグ通算230試合出場を果たした。
倉坂 正人(くらさか まさと、1990年2月7日 - )は、… 倉坂 正人(くらさか まさと、1990年2月7日 - )は、日本の男子ビーチバレー選手。 足のサイズは30cm。兄がいる。 金沢市立北鳴中学校を卒業後、高校バレーの名門・石川県立工業高等学校に入学。在学中の2007年にバレーボール北信越大会で優勝し、全国高等学校選抜優勝大会(春高バレー)に出場するが、福岡大学附属大濠高等学校に敗れ一回戦負け。 石川県立工業高校卒業後、早稲田大学に入学しバレーボール部に入る。2010年の2部リーグ戦でスパイク賞を獲得。 早稲田大学卒業後に三菱オートリースに就職し、三菱の持つ実業団バレー部に入部する。 2015年に全国6人制リーグ男子の部で総合優勝し、MVPを獲得する。
山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - … 山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金沢市立兼六中学校では軟式野球部に所属。石川県立工業高等学校では甲子園出場経験はなし。 高校卒業後にトヨタ自動車に入社するが、高校時代以来の肘痛の再発や腰痛の影響で4年後の2011年に退部。 2012年は同社の貞宝工場で社業に就きながら自主トレーニングを重ね、2013年1月にトヨタ自動車東日本に転籍した。9月に行われた第50回JABA毎日旗争奪秋季大会では最高殊勲選手賞を受賞した。 2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5巡目で指名され、契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
山本 あき(やまもと あき、1976年5月24日 - )は、… 山本 あき(やまもと あき、1976年5月24日 - )は、日本の演歌歌手。石川県白山市出身。レコード会社はキングレコード、芸能事務所はキングレコード系列のキングエンタープライズに所属。 石川県白山市鶴来(旧石川県石川郡鶴来町)生まれ。本名同じ。演歌好きの母親が、特にファンだった八代亜紀にちなんで、「亜紀」と名付けようとしたが、字画数が悪くなることなどから平仮名で「あき」にしたという。三人姉弟の二番目。上に姉、下に弟。父親は趣味の一環でありながら本格的な手品を披露するマジシャンで地元を中心に公演や講師活動を務め、母親も地元で活躍するプロ演歌歌手。この様な芸能一家血筋で育ったあきも幼少時から次第に芸能界に憧れと志を持つ様になる。
鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石… 鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石川県金沢市出身の日本の柔道家。66kg級及び73kg級の選手。身長170cm。六段。東海大学大学院出身。 柔道は5歳の時に始めた。ロンドンオリンピック柔道57kg級金メダリストの松本薫と同じ岩井柔道塾出身。紫綿台中から石川県立工業高校に進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級に出場するが、決勝トーナメント2回戦で東海大第五高校の中村兼三に判定で敗れて5位に終わった。東海大学進学後、4年の時には正力杯65kg級で優勝を飾った。 卒業後は上組所属になると、1997年から実業個人で3連覇を飾った。なお、この大会は2006年からも4連覇を飾っており、計7回の優勝を果たすことになった。
吉井 丈絵(よしい ともえ、1972年8月11日 - )は、… 吉井 丈絵(よしい ともえ、1972年8月11日 - )は、石川県江沼郡山中町出身の元女優。 石川県立工業高等学校デザイン科在学中、1990年に水戸黄門第20部記念で行われた「ミス水戸黄門コンテスト」に応募し、北陸放送代表に選ばれた。 ミス水戸黄門を機に、「水戸黄門」や「大岡越前」をはじめTBS系時代劇に出演し活躍した。
西永 秀一(にしなが しゅういち、1967年12月10日 -… 西永 秀一(にしなが しゅういち、1967年12月10日 - )は、日本のプロレスのレフェリー。かつて小橋建太のマネージャーを務めていた。 弟の西永貴文は劇団「猫☆魂」を主宰。 1990年8月20日、全日本プロレスの埼玉県蓮田市黒浜中学校前特設リング大会における百田光雄 vs リチャード・スリンガー戦でレフェリーデビュー。 軽快なフットワーク、正確なレフェリング、堂々たるレフェリングをし、和田京平のように3カウントのタイミングが1回1回変わることが少なく、選手からの信頼は厚い。ただし、小橋建太がコーナーポスト付近で行う恒例のマシンガンチョップに対し(選手がロープブレイクをしていても)5カウントをとることがなく高山善廣が解説で「ジャッジが不公平だ」と指摘している。
中本 賢(なかもと けん、1956年6月5日 - )は、日本… 中本 賢(なかもと けん、1956年6月5日 - )は、日本の俳優。東京都台東区浅草出身。愛称及び旧芸名「アパッチけん」。オフィスPSC所属。
潮 哲也(うしお てつや、1949年12月13日 - )は、… 潮 哲也(うしお てつや、1949年12月13日 - )は、日本の元俳優。本名は本保 明啓(ほんぼ あきひろ)。 石川県金沢市出身。石川県立工業高等学校卒業。東宝芸能を経て、山田栖峯子事務所に所属していた。 身長178cm、体重70kg、血液型はAB型。 父親は警察官で、姉が3人いる。 14歳の頃に石川県金沢市に転居する。 高校卒業後に製紙会社勤務・レコード店事務を経て上京し、東映演技研修所を経て東映芸能部に所属する。 数本のテレビドラマに端役で出演した後、『快傑ライオン丸』の主役に抜擢されて本格的デビューを果たし、続く『風雲ライオン丸』でも主演を務める。『ライオン丸』の終了後に東映芸能部を退部。
細野 昭雄(ほその あきお、1944年3月18日 - )アイ… 細野 昭雄(ほその あきお、1944年3月18日 - )アイ・オー・データ機器代表取締役会長兼社長。 1944年石川県生まれ。1962年石川県立工業高等学校電気科卒業。ウノケ電子工業(現(株)PFU)に入社。ウノケ電子創業者の一人の竹内繁が金沢工業大学教授に就任するに伴い、同大学助手に着任。金沢工業大学ではコンピューターの開発と、周辺機器をつなぐ入出力部分(インターフェース)の研究を行った。1970年、竹内繁が創業した周辺機器開発のベンチャー企業 (株)バンテック・データ・サイエンス(現:NTTデータNJK)に入社し、開発部長となったが1975年に退社した。1976年1月アイ・オー・データ機器を自宅の一階を社屋、ガレージを工場として、創業した。
大場 松魚(おおば しょうぎょ、1916年(大正5年)3月1… 大場 松魚(おおば しょうぎょ、1916年(大正5年)3月15日 - 2012年(平成24年)6月21日)は、漆芸家。蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)。金沢美術工芸大学名誉教授、金沢市名誉市民。石川県金沢市出身。本名、勝雄。 石川県立工業学校卒業。父の大場宗秀に10年間学んだ後、昭和18年上京し、松田権六の内弟子となり2年間師事。 伊勢神宮式年遷宮御神宝「御鏡箱・御太刀鞘」(昭和27年及び47年)、中尊寺金色堂の保存修理(昭和39年)に従事したことが端緒となり、本格的な平文の技法に取り組んだ。 1978年に紫綬褒章を受ける。 1982年(昭和57年)4月20日には人間国宝に認定される。 フランスでクリスタルガラスとの融合など、新しい枠組みにも取り組んだ。
蓮田 修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年〈大正4年〉8… 蓮田 修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年〈大正4年〉8月2日 - 2010年〈平成22年〉1月6日)は、鋳金家。文化勲章受章、日本芸術院会員。日本の金属造型の第一人者である。 石川県金沢市生まれ。1928年石川県立工業学校図案絵画科卒業、1938年東京美術学校工芸科鋳金部卒業。在学中は高村豊周に師事した。1949年、第5回日展に初入選し、1951年「トロフィー」で日展特選朝倉賞を受賞。1952年創作工芸協会設立を設立した。1953年「黒豹鋳銅スクリーン」で日展北斗賞、1959年「野牛とニンフ」で日展文部大臣賞を受賞。1961年日本現代工芸美術家協会設立に参加、「森の鳴動」で日本芸術院賞を受賞。
高光 一也(たかみつ かずや、1907年1月4日 - 198… 高光 一也(たかみつ かずや、1907年1月4日 - 1986年11月12日)は、日本の洋画家。石川県石川郡潟津村(現・金沢市北間町)出身。中村研一に師事。金沢美術工芸大学名誉教授。日展文部大臣賞、日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員、文化功労者。真宗大谷派専称寺住職。 真宗大谷派専称寺住職・高光大船の長男として生まれる。大正14年、石川県立工業学校(現・石川県立工業高等学校)図案絵画科を卒業。小学校教師を経て、昭和4年の第16回二科展に「卓上静物」を出品し、初入選。同年より中村研一に師事する。昭和7年、第13回帝展に「兎の静物」を出品し、初入選。画業に専念する。昭和12年、第1回新文展に「藁積む頃」を出品し、特選。
松田 権六(まつだ ごんろく、1896年〈明治29年〉4月2… 松田 権六(まつだ ごんろく、1896年〈明治29年〉4月20日 - 1986年〈昭和61年〉6月15日)は、日本の蒔絵師。人間国宝。文化勲章受章者。位階は従三位。 1896年、石川県金沢市生まれ。7歳で蒔絵の修業を始める。石川県立工業学校漆工科、東京美術学校漆工科で学ぶ。1943年(昭和17年)、母校である東京美術学校教授に就任。以後36年間にわたって教鞭を取った。 1947年(昭和22年)日本芸術院会員となり、1955年(昭和30年)には人間国宝に認定される。伝統工芸の復興に力を尽くす一方で並木製作所の蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作指導といった新しい蒔絵の模索も行っている。1965年著書『うるしの話』で毎日出版文化賞受賞。
都賀田 勇馬(つがた ゆうま、1891年(明治24年)- 1… 都賀田 勇馬(つがた ゆうま、1891年(明治24年)- 1981年(昭和56年)6月20日)は、日本の彫刻家である。 石川県金沢市の生まれ。中学時代は素行不良により数回転校を繰り返し、多くの中学校にて学んだ。後に青木外吉からの推薦により、石川県立工業高等学校に入学し彫刻家としての活動を始める。卒業後は東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学し、卒業後は帝展出品のために動物や歴史上の人物、仏像等幅広い分野の彫刻像の製作にあたった。 しかし帝展への出品までには7度出品されたもののいずれも落選し、1920年(大正9年)に開催された第8回帝展でようやく入選されるという苦戦の人生を送る。入選後は朝倉文夫の門人となり、師匠の技法を元に彫刻を学んだ。
板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3… 板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3月3日〉 - 1963年〈昭和38年〉10月10日)は、茨城県出身の、明治後期から昭和中期にかけて活動した日本の陶芸家。本名は板谷 嘉七(いたや かしち)。号は、始め「勤川」、のち「波山」。「勤川」は故郷を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」に、「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。 日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である。茨城県名誉県民。下館市名誉市民(合併により筑西市への移行に伴い、現在は筑西市名誉市民)。 日本の陶芸は縄文時代からの長い歴史をもつが、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場するのは近代になってからであった。