石田 新太郎(いしだ しんたろう、1870年11月(明治3年11月)- 1927年(昭和2年)1月26日)は、明治・大正期の官僚、大日本帝国外地統治の陸軍教育者、慶應義塾幹事。 陸奥国田村郡三春町(現福島県田村郡三春町)生まれ。中学校を卒業し、明治22年(1889年)上京して国民英学会に入り、明治24年(1891年)1月慶應義塾大学部文学科に入学し、明治26年(1893年)12月卒業。卒業後に上野図書館において独学で教育及び心理の二学を修めて、高等師範学校教授谷本富と論戦を開く。 明治30年(1897年)の春、陸軍士官学校に出仕し、校長・安東貞美少将の下にて教程編述に参与し、幾ばくもなく寺内正毅少将の幕僚として策をたすける。
出典:ウィキペディア「石田新太郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
